吹雪です

今朝未明、帰宅しようと外に出たら、吹雪いていました。
ヘッドライトに照らされると、迫力があります。




冬らしいなあ、この夏の暑さの時にはホントに冬が来るのかと信じられませんでしたが、やはり日本の四季は健在でした。
そして少し眠り、朝はお墓のお掃除に行きました。
昨日の予定でしたが雨のため、今日になりました。
冷たかったです。泣き
お墓の周りは凍っていました。
風が強くて火がすぐ消えるのでろうそくもお線香も点きません。
きれいになりました。



寒い程厳粛な気持ちになります。
今年も無事終わりました。ニコニコ
凝縮された1年でした。メロメロ
来年も平凡でいいから、小市民の幸せを享受できますように。ニコニコ
もうすぐ息子夫婦も帰省します。
家族揃ってしし鍋をつつきます。ニコニコ

坂の上の雲




第2部も終わってしまいました。
第1部の再放送ともあわせて見ごたえがありました。
まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている
このフレーズで始まる「坂の上の雲」
渡辺謙のナレーションに痺れます。
物語を進めていくうえで邪魔にならず、声の高さも質もちょうど良い。
この短い言葉の中に、慈愛が込められていて、未来に希望がありそうな予感を醸し出し、信念と品格があります。
「Stand alone」サラ・ブライトマンと久石譲サンによる音楽もいいですね。雄大さと広がりを感じます。
去年もこのドラマ観たのに、そんなこと意識しませんでした。
アナカレで教えられました。
最初の一言で、皆を振り向かせること、こちらに注目してもらうことが大切だと。
自分ではとても到達できないけど、聞く耳だけは肥えたように思います。
極東の小国だった日本を日露戦争で勝利に導いた軍人・秋山好古・秋山真之兄弟と、文学界に大きな足跡を残した俳人・正岡子規を中心に明治人の青春群像を描いた歴史長編小説。
押し寄せてくる欧州の植民地政策によりアジア諸国が次々と隷属する中、日本だけは富国強兵をスローガンに近代化を図ることで列強の脅威と対峙する。
サルまね」と揶揄されながらも、日本が生き残る道に向かって、ただひたすら前をのみ見つめ駆け上っていった。

阿部寛の秋山好古・本木雅弘の秋山真之、俳優さんだから男前だと思っていましたが、実在の秋山兄弟も日本人離れした容貌だったそうです。




夫々、きれいで、出自も上流のお嫁さん(松たか子・石原さとみ)をもらいました。
こんな立派な息子さんを持ったお母さん(竹下景子)は、嬉しかったでしょうね。
あやかりたい。

旅の終わりに

九州自動車道かどうか知りませんが、高速道路を鹿児島空港へ急ぎます。
もう少しゆっくりしたかったのですが、朝の出発便しか取れなかったのです。
でも道が空いていたので途中で休憩を兼ねて、ドライブインらしきところで止まりました。
錦江湾が見渡せます。













弟は人材育成の仕事をしていて、それなりの信望もあるのに私生活では突っ込みどころ満載です。
言葉づかいや態度を注意したり、でも反抗もせず、水入らずとはよく言ったもので、お互い、(たぶん)配偶者よりも気を使わず、のんきな旅でした。
これに気を良くして、来年も行こうと言うことになり、高杉晋作長州か(山口県と言えばいいのに)秋山兄弟(坂の上の雲)の松山が候補地にあがっています。
この可愛い柄の飛行機で羽田に飛びました。






母が高齢者だということで、飛行機の改札も一足早くしてくれ、羽田での乗り継ぎの時にはゲートが遠いからとわざわざ秘密?のコースを通り、バスで乗り替えゲートまで送ってくれました。
上げ全据え膳の大名旅行も終わり、家路に着くころには魔法が溶けて現実の生活が待っています。
そしてもうすぐ今年も終わります。
でも今年は靖国神社知覧に行けて少しだけ、日本人としての役割を果たせた気分です。

アナカレ終了しました




今年4月から、毎週水曜日、午後6時半から2時間のレッスン、アナウンスカレッジ36回終了しました。
よく訊かれました。
「なんでそんなとこ行くの?」「今更なにするの?」「何がしたいわけ?」
私自身がそう思います。
若くもなく、さりとて引退するには早い、人生の目標であった子育ても、一応終了(卒業ではありません)しました。
これからなにをすればいいのか、自分がどうしたいのか、ずっと考えていたけど分かりません。
そんな時ラジオで募集していたアナカレ、資格は満たしています。
①高校卒業以上
②好奇心の旺盛な人

時間の都合も水曜日だからよかったし、9か月のみだから続けられるかなあと、なにか見つかるまでの時間稼ぎでもあり、ヒントでももらえたら、と軽い気持ちで踏み出しました。
なんと場違いなところに来てしまったかと、悔やみましたが後の祭り。
ブログもそうですが、1度でも休むとそのまま止めてしまう自分のいい加減な性格よくわかっています。
能力はついて行けなくても、休まないことは可能です。
毎週夕方にはRNCに出勤、これはきつかったです、休みが全部栓されている気分で、友人と食事にも行けません。
長かったけど皆勤して、修了証書を頂きました。
その後皆で夜の街に繰り出して、修了祝い忘年会を兼ねた会食です。
お店の名前は忘れたけど、リーガホテルの近くの居酒屋さんでした。
ノンアルコールビールがなかったのが残念でしたが、受講生以外にも、飛び入り参加のゲストもいて話も弾みます。
高校生や、子供と同じ年齢の人たちです。
世代を越えて和気あいあいです。
やはり小橋先生のお人柄によるものでしょうか。
終わってほっとしたけど、お別れとなると寂しいです。
RNCのガードマンのかたとも、お名前は知りませんが、波長があったのでしょうか、心のふれあいのようなことがあり、いい思い出になりました。
街はクリスマス仕様一色ですが、若い時のように気持ちが高ぶりません。



こんな宙ぶらりんな状態は気持ち悪いです。
答えはまだみつかりません。

栗林公園・デジタル掛け軸

100万枚の画像を組み合わせた「デジタル掛け軸」を建物や木々に投影してクリスマス仕様に染め上げる、栗林公園の「冬のひかり絵巻」に母と行きました。
23日から25日までで、午後5時から9時までです。
30秒余で刻々と画像が変わっていき、思わず見とれてしまいました。メロメロ
全く違う景色になるので、目を離せず、あまり寒くなかったので助かりました。ニコニコ
こんな映像は初めて見ました。
悲しいかな上手く、この目で見た通りには表現できません。泣き

























新聞社の方が撮るとこうなります。


指宿温泉・秀水園

道路のことはよくわからないけど道案内はナビにお任せして、スムーズに初めての道を移動します。
宿の駐車場に車を止めると旅館の方が迎えに来て下さり、荷物を持ってくれます。
そして玄関を入るとびっくり、このスペースにぎっしり座って大勢の着物姿の女性が、三つ指ついてのお出迎え、嬉恥ずかし、
でもどうリアクションすればいいかわからず、頭を下げるのが精いっぱいでした。




予約していたのより上等の部屋に通されました。最上階の五階の特別室で、太平洋が見えます。かなり広いです。









お茶とお菓子を頂いた後、天然砂むし温泉に行きました。



専用の浴衣に着替えて、頭だけ出して砂に横たわり上からスコップで砂をかけます。
少々重いけど、体全体が芯から温まります。
十分余りでそこを出て身体に着いた砂をお風呂で落として、指宿の温泉街を歩いて旅館に帰ります。
丁度、予約した夕食の時間です。
弟が楽天で検索した時、食事が最高、サービスも高得点、お風呂はまあまあのこの秀水園に決めただけあって素晴らしいお料理です。
味付け・盛りつけ・器・種類の多さ・出てくるタイミング等。





















でも想定外に感動したことは、部屋付きの仲居さんが、父への陰膳(ワイン)を届けてくれたことです。



これは数字では表わすことのできない、心からのおもてなしだと、父も喜んでいるだろうと、嬉しかったです。
食後、ロビーでオカリナのコンサートがありました。



オカリナって陶器で出来てるのですね。



部屋に帰るとおぜんざいが用意されていて、美味しく頂きました。
部屋にもお風呂がついているのですが、大浴場に行きました。
そんなに大きくはないけど、ここにも心配りが感じられました。
其の後、マッサージを予約して寝る前にも良い気分になりました。
太平洋から昇る朝日です。



朝ぶろは部屋の檜風呂に入りました。
朝からお刺身つきの豪華な朝食をいただき、旅館を後にして鹿児島空港へ、向かいました。









この方は最後まで気を配って下さり、おいとまをしてしばらくどちらへ行けばいいか迷っていた時、ずっと見守ってくれていたのでしょうか、走ってきて懇切丁寧に教えてくださいました。
早速帰宅してから、母はこの秀水園にお礼の手紙を書きました。

慟哭の知覧特攻

いよいよ知覧です。
道の両側に燈篭が立っています。献燈と彫ってあります。




特攻で亡くなった方の数だけの燈籠があるそうです。1036柱とか。
それを見ただけで込み上げてくるものがあります。
知覧特攻平和会館まで続いています。



あっ!父が乗っていたです。






まわり全部ぜんぶが、飛行機に関するもの、事ばかりです。
母の兄も姉婿も陸軍士官学校の飛行機乗りでした。
陸軍三式戦闘機「飛燕」は片方に200リットルの燃料タンク、もう片方には250キログラムの爆弾を積んで敵に突撃したとか。
飛行機全体からすると、操縦席はとっても狭く、これがコックピットだったんだ。
ここにいる時どんなことを考えたんだろうか?孤独ではなかったのか?






子供みたいな年齢の人たちが、将来の日本が良くなるために、犠牲になってくれたんだ、と想いを馳せると、そこから動けなくなりました。

三角兵舎
です。
映画で見たことがありますが、全くそのものです。
半分地中に埋まっています。









ここは一夜の雨露を凌げたらいいだけなので、簡素なつくりです。
明日は特攻で飛び立つ人たちが生活するので、一日、長くても(天候の加減などで)四~五日しか居ません。
ほがらか隊と呼ばれる人達も、夜になると毛布を被り、声を殺し、肩を震わせて泣き、泣いた人ほどしっかりした足取りで出ていくそうです。
今なら中学・高校生ぐらいの若者が、国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら志願し、百倍くらいの競争率で合格した非常に優秀な人達です。
操縦・整備・航法などありましたが、戦局が悪くなるにつけ、ほとんどの方が振武隊員となり、特攻に行ったそうです。
特攻と切り離せないのは、必死・決死・必沈という言葉です。
死ぬしかなかったのです。
明日を生きようとして生きられなかった人達です。
空だ男の征くところ、君こそ空の荒鷲だ
散った方の数だけの遺書も展示されていましたが、どれもこれも、達筆で文章も上手い!
そして殆どの方が、まずお母さん、母への感謝を書いてあります。






そして、後になるほど、終戦に近いほど父の同期五十七期生の方たちの写真がありました。
同じころ父は満州で、操縦を必死で教えていたのです。
父の後輩で、元衆議院議員の梶山静六氏が寄付した燈篭もありました。



特攻の子供たちが母のように慕った鳥濱トメさんの富屋食堂も資料館になっていました。









その富屋食堂のすぐ近くに流れている川に掛っていた橋です。



知覧武家屋敷の近くなのでこのような形になったのでしょうか?
亡くなった方が蛍になって帰って来たという話がありましたが、昔は裏にきれいな川があったとか、もしかしてこの川のことかなあと勝手に想像しました。



こんなに大勢の尊い命を犠牲にしたのだから、それを無駄にしないためにも、現在の日本人は誇りを持ってこの国を建て直すべきだと強く思いました。
知覧を後にしてもしばらくこの、道の両側の献燈は続きます。

僕たちを思い出してくれ、忘れないでくれと叫んでいるようです。
「必ず成功させます!」「靖国で会おうな!!」
特攻機で離陸した後、開聞岳を見て、少し降下し、翼を三度振って、別れのあいさつをし、気持ちを切り替えて敵地に飛び込んで行ったその開聞岳です。
真ん中のうすくみえてる山です。



この特攻会館にかなり長時間いました。昼食をとるのも忘れて・・・
あまりにも思い入れが強かったせいでしょうか、辛くって精も根も付き果てた感じで、近くまで来ているのに知覧武家屋敷には行く気になれず、指宿温泉に向かいました。

城山観光ホテル

今宵の宿は城山観光ホテルです。







城山の上に建つホテルの最上階、九階なので、さえぎるものがなく最高の景色です。
父にも見せてあげました。



レディスルームでアロマやマッサージ機、コスメなど至れり尽くせりで、デラックスで、細やかな心配りが行きとどいています。
今まで泊まったホテルでは、ナンバーワンクラスです。
イルミネーションが、どこから見ても華やかです。










夕食はバイキングです。北欧フェアだとかで、ホワイトカレーがおいしかったです。
八十種類あるため、頑張ったけど、少量ずつ取っても一通りは食べられません。泣き






温泉は苦手ですが、折角来たのだからと大浴場に入ります。
皆さんお見事な脱ぎっぷりですこと。
温泉だから当たり前かもしれないけど、それが恥ずかしいからあまり行きたくないのです。
でも、中は照明を落としてあるのでほっとしました。
桜島を見ながら、月・星を見上げながらの露天風呂は気持ちよかったです。
美人になる湯との殺し文句に、サウナにもはいり、翌日は朝日が昇る桜島を見ながらまた、露天風呂を満喫しました。
部屋からも桜島がよく見えます。
日の出は午前七時十一分との事でしたが、もう少し遅かったように思います。



この日は結婚式が十組以上あるようで、華やいだ雰囲気です。
朝の散歩、夜とはまた違った景色です。






ホテルのスタッフも気持ちの良い接客です。美人が多いです。
ここでパソコンを見せてもらって、出発前に予約してあったブログがアップされているかどうかを確認しました。OKです。
見送られて次の目的地に走ります。

薩摩歴史探訪

市内いたるところに歴史的な銅像や史所が見受けられ、撮影が忙しいです。
西郷隆盛が生まれた所です。




近くには大久保利通が生まれた所があります。



近い距離の中に偉人 西郷隆盛・大山巌・大久保利通・東郷平八郎・村田新八・山本権兵衛等数えきれないくらいの方たちが生活していたのですね。
維新ふるさと館に行けばすべては一目瞭然です。






維新体感ホールではドラマ仕立てで「維新への道」「薩摩スチューデント、西へ」で噛み砕いて話されたように良く分かりました。
音や光、ロボットなど多彩な演出で見ごたえがありました。

鹿児島からこんなに大勢の、明治の元勲が綺羅星のごとく出自したということはものすごいことです。
これは、先輩が後輩を教え導いた薩摩独特の郷中(ごちゅう)教育のたまものだと思います。
島津斉彬がまた偉い方で世界に目を向け、幕府に見つかったら死刑になるのに十九名の若者をこっそり英国に留学させました。
今のお金にすると一人二千七百万円もの費用をかけて。
日本の近代化工業のさきがけが鹿児島だったなんて初めて知りました。
篤姫のコーナーもありました。
ここはお鈴廊下、将軍様が大奥に入られる時知らせるために鳴らす鈴がついていて、現物大だそうですが、以外に狭く感じました。









篤姫気分スマイル




今の今まで西郷隆盛さんがこんなに偉い方だったとは知りませんでした。
上野の森の、犬を連れた銅像の西郷さんのイメージしかありませんでした。

篤姫・龍馬伝・坂の上の雲
を観てきたので、歴史好きの弟とはよく話が弾みます。
もし、西郷さんが生きていたら日本はどうなっていたかなあ?とかも。
もし、たら、れば・・・仮定し始めるときりがありません。
篤姫が住んでいた家ですが、現在は私人の持ち物だし、監視カメラもついていたので少し離れた所から写しました。

その隣の小学校には西郷隆盛の教えが校舎に掲げられていました。



西郷さん達が自決した城山から見た桜島です。


高松~羽田~鹿児島

私には弟が二人います。下の弟とは10歳離れていて、母が仕事をしていたため、母親代わりに接してきました。
その弟が、去年仕事で鹿児島に行った時とっても良かったので母を是非連れて行ってあげたいとのことでした。
私と母はワンセットです。付いていかなくちゃ!ニコニコ
これまでなら考えられなかった、12月のかき入れ時(今では死語)に、3日間店を閉めて行ってきました。
上の弟は母にお餞別を届けてくれました。ニコニコ
弟は千葉在住なので、羽田で合流して鹿児島に向かいました。
右前方上に見えていた富士山がいつの間にか右後方下に見え、真上から見ることが出来、ハッピィな気持ちになりました。







ウエルカム鹿児島というムードです。









流石芋焼酎のお国柄、到着ロビーには106種類の焼酎のラベルとビンが目を引きます。
確か父と同じ名前の玉太郎というのがあったはずなのに見つかりません。






空港でレンタカーを借り鹿児島市内へ向かいます。
鹿児島中央駅の屋上には観覧車が見えます。



かの有名な繁華街天文館クルマの窓からのみの見学です。
だって行きたい処が一杯ありますもの。









市電が走っています、のんびりムードです。
今回はお買物はいいわ。先を急ぎます。