昨日のRNCアナ・カレ

もともとの人数がそんなに多くないのに、欠席者が多いため、質問が大当たりです。
講師はアナウンサーとかディレクターとか沢山の肩書きをお持ちの小橋克彦氏です。
今回のテキストは天気予報です。




5月26日 水曜日   瀬戸内気象概況
きょうの香川県は、気圧の谷や寒気の影響で、雲が広がりやすくなりました。
これから今夜にかけても、気圧の谷や寒気の影響で雲に覆われやすくなりますが、
時折晴れ間も見られるでしょう。
今日の高松の日中の気温は、22度くらいで、きのうより6度程低い見込みです。
あすは、寒気の影響が残る昼ごろまでは、雲が多くなりますが、
その後は高気圧の圏内で穏やかに晴れるでしょう。
あすの高松の気温は、朝は平年並みの15度くらいになりますが、日中は20度くらいで
4月中旬頃の気温となる見込みです。
気温の変化で、体調を崩さないようご注意下さい。
なお、今夜はじめ頃にかけても風が強く、海上では波が高くなりますので、注意が必要です。

たったこれだけの文章がうまく言えません。
何十回も繰り返して、言いなおしです。
もっと丁寧に!
感情を込めて!
長音をきちんと伸ばせばそれだけで判り易く聞こえる。
イントネーションも同じ言葉でもその前後によって変化する。
うったてをしっかり!
最後は落とす。
教えられたとおり話してるつもりでも注意されます。
これまでの人生で、人から叱られたり注意されたりした記憶があまりありません。
情けなくなります。凹みます。
誉められても、どうしてなのか理解できません。
でも不思議と二時間のレッスンの最後近くになると、皆とっても上手になっています。
そして、家に帰ると加速度がついて記憶が薄れ、一週間経つと完全にリセットされてしまい、また最初からやり直しです。
どれだけ神経を使うかというと、毎回1kg体重が落ちてます。
せっかく痩せたのに、それも悲しいことにリセットされてしまいます。
毎回何かお土産を下さいます。
先生のところにはスポンサーさんからのお届けでもあるのでしょう。
そして今回は小人数なので、冷たいお茶とインスタントラーメンを食べながら世間話です。
ソイジョイもいただきました。
往復時間を入れて四時間、無事終了した後は、自分を誉めてあげたくなります。

カサブランカ (大空祐飛)




宝塚歌劇団宙組のトップ、大空祐飛主演のカサブランカを観ました。
映画ではハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンが主演だそうですが、私が生まれるずっと以前のことなので観てません。
宝塚大好きのSちゃんが大空祐飛さんのおっかけをしていて、次々DVDを貸してくれます。
最初は名前さえ知らなかったのに、朱に交わって赤くなってしまいました。


















顔が小さい!

日常へ

ここ十日ばかり、ばたばたしてました。
伯父のことです。
「もはやこれまで」という状況で、会いたい人達に一通り会って、感謝を述べてついに帰らぬ人に・・・・
その間大勢の人が出入りし、こんな時しか会うことのない知人にも会い、寝泊まりする人もあり、落ち着かない日々でした。
その方が悲しみに浸る暇もなく、好都合です。




そして弟を空港まで送り、二人でモーニング目玉焼きウインナー食パンコーヒー
もし時間が許せばそのあとでおうどんも食べたそうにしてました。
前日も初七日のご馳走の後、おうどんを食べに行き、その後深夜(未明)まで、従姉妹と酒盛りしました。
その従姉妹も帰りました。
皆に会えたことをとっても喜んでました。
彼女の亡き父も陸軍士官学校の五十四期生でした。
空港で買いました。



以前は「玉ごろう」という名のお醤油だったのに、探したけど見つかりませんでした。
  父の名前が玉太郎なので、空港に来ると買うことにしてました。
葬儀の写真もできました。
夫が録音してくれていた、葬儀の様子のテープ、改めて聞いてみて、新たな悲しみが沸き起こります。
父の時のテープも、今聞いても、その時の気持ちになってしまいます。
ただ悲しみは少しずつ薄れてはきました。
時が解決してくれました。
そして明日は叔母が帰京します。
皆いなくなります。
又普通の日常にかえります。

「龍馬伝」のオープニング

「龍馬伝」のオープニング楽しみにして観てます。
色合い イメージ 龍馬になぞらた龍がうねる様、三十余年の熱い人生を二分四十五秒に凝縮して表現しています。
そのバックに流れる壮大な曲、オーストラリア出身のリサ・ジェラルドさんが歌ってる曲。
画面と曲がくせになりそうなほど、良く合ってると思いますが、どんな内容なのかしら?




この歌は リサさんが即興でうたったもので、特定の歌詞や意味はないそうです

彼女の持ち味は特定の国の言葉に収まらない広がりのある世界を表現できること、だとか。
伝統的な大河ドラマの曲とは一線を画する新しいイメージで、毎回食い入るように観てるけど飽きがきません。
クリエイティブな方達は凄い力を秘めているのですね。

華麗なる一族

久しぶりに雨風の強い、こんな日に伯父の葬儀が行われました。
七人兄弟の長男であり、四人の子供を立派に育て上げ、九人の孫二人のひ孫がいました。
親戚中の代表者、要でありました。
その役割を見事に終えて逝きました。
孫達の活躍が嬉しくてたまらない様子で、私はよく聞き手になってました。
うちの店に来ると根が生えるのです。
幸せな晩年だと喜んでいました。
本当に珍しいくらいこの家族は優秀なのです。粒ぞろいです。
日本のトップクラスの大学はもちろん、ハーバード大に留学した人もいます。
彼は今先進医療の勉強でカナダにいます。
その妹は、アメリカの学会から帰国したばかりで葬儀に間に合いました。
数年ぶりにあった孫さん達は爽やかな青年に成長し、その配偶者も含めて皆素敵です。
学歴も職業もポジションも高い方ばかりなのに、謙虚なところが又すばらしい。
経済的にも精神的にもゆとりのある生活をしてきたせいでしょうか、個性はそれぞれ違うけど、品が感じられ、気持ちよく会話も弾みます。
親戚にこんな人たちがいるということはとっても心強く有難いと思います。
伯父は、常々、「わしはあんな状態になるくらいだったら切腹する」と言っていたので、意識不明であったことが幸いでした。
志度でただ一人陸軍士官学校に入学した人です。
父と同じ空の勇者でした。そしてやはり父と同じように生き方の下手な人でした。
名前の通り信用が一番の人で、家族想いで、軍人らしく、誠実に、きちんと生き切りました。
同期の方達はほとんど先に逝かれました。
天国では父が良い席を用意して待ってるはずです。
同期の野沢氏(常盤街で「3匹の子豚」をされてます)はお身体が悪いにもかかわらず、最後の力を振り絞って弔辞を読み上げて下さいました。
故人の写真を見ながら思い出を語る三女の姿には、もうたまりません。押さえきれない、こみ上げてくるものがあります。
陸士の校歌に送られての出棺です。
敬礼をしてお別れです。

サボテンの花

初めて見ました。
あのとげが沢山ある、ユーモラスなサボテンに花が咲くこと知りませんでした。
でもこの年齢になっての初体験も 少し感激ものです。




やさしい、ピュアなピンクとホワイトのグラデーションです。
昨日まではこんな感じでした。



一夜明けたら華麗に変身です。
日当りが良いからでしょうか、このサボテンを下さった方のにはまだ花も蕾も付いてないそうです。
美形の予備軍です。


RNCアナウンスカレッジ

今日のアナカレはいつもと違う場所で行われました。
ルイ・ヴィトンの前に集合しました。




丸亀町壱番館のカルチャースクールで、石井真紀先生による発生法の勉強です。
運動し易い、動きやすい服装で参加、とのことで一体どんなことをするのかと、緊張します。



手や肩のほぐしから始まりました。
丹田に力を入れての腹式呼吸。
難しいです。
お腹の中まで空気が入っていっているのかを、いろんなポーズで確かめながら、繰り返します。
慣れないことで、頭ではわかっていても動きはちぐはぐ、体の硬さを思い知らされます。
毎回新しい発見みたいなことはあるけれど、これほど大変とは思わなかったです。
別に喋りのプロになるわけでもなく、時間と期間が都合が良かったために申し込んだだけです。
シマッタと思いました。わが子より年下の方たちとおなじ勉強するのです。
他の人達ほどの覚悟もプロ意識もなく、なんとなく申し込んでしまいました。
毎週年末近くまで、レッスンは続きます。
三十六回のうち五回までは終了しました。
最後まで付いていけるかどうか、不安をかかえたまま、惰性で行ってます。

伯父が逝ってしまった

岡病院に転院してから一年半、何度も危機を回避してきた伯父もついに帰らぬ人になってしまいました。
数日前から慌ただしかった。
東京・大阪・横浜・岡山の従姉妹たちも次々帰省し、皆とお別れをして、そばについいている人も気付かなかった位、静かにすっと眠るように逝ってしまいました。
私はこの伯父にはずいぶんかわいがってもらいました。
伯父も父も陸軍士官学校五七期の同期生です。
伯父が私の父に「山下は日本一の男やから妹をもらってくれ」といって私が生まれました。
昨日も母と訪れた時、酸素マスクをずらした時、「ア・リ・ガ・ト・ウ」と数回言ってくれました。
意識不明にもかかわらず、本当にそう聞こえました。口の動きで確認しました。
病院に着いた時はまだ体は温かかったです。
お医者様も看護師さんも良くしてくださいました。
お陰でここまで来られたと思います。
帰る時、理事長さんにお礼を言いに行きました。
彼は高校の時同じクラスで、よく飲み喰いを共にしている方です。
従姉妹たちも、感謝の気持ちを述べました。
「これが仕事とはいえ辛いんだよ。元気になって退院するのならいいけど、皆死んでいく」
と言われました。
でもよその病院は三ヶ月経つと出されるので、皆喜んでいるとの旨伝えておきました。
今から葬儀の支度です。

ボタンのアカネヤ

昔はボタンやさんや洋裁小物を扱っているところがたくさんあったのに、いつの間にか減ってしまいました。
オーダーの洋服の場合、生地代が高いため付属品も良いものを使います。
ライオン通りにあるアカネヤさんはベラミがオーダーだけだったときからのお付き合いです。
何十年にもなります。
店内はそんなに広くはないけれど、うまくスペースをつかって、上質の物が所狭しとおしゃれに並べられています。







創作意欲を掻き立てられるリボンやレース、使い方によっては全く別物に変身する小物が、素敵なものがいっぱいあります。






もっと近ければしょっちゅう行けるのに、クルマで30分走り、駐車場に止めて歩いていくことは、まとまった時間を要するので、切羽づまった時しか行けません。
今日買ったボタンです。
わかりずらいですが、ブラックとグレーのミックスで、真ん中にバラの花が彫られています。






スイス製の綿ローンに、部分的にししゅうが施されています。
夏は綿にかぎります。

エイジレス

  問題    この方何歳に見えます?




私がまだ若かった頃、ずっとずっと先にある五十歳まで生きられたら、その後はおまけの人生だと思い込んでいました。
その歳を迎えたころ、「あれっ、こんなもんかなあ。五十才ってまだまだ若いじゃない」と感じました。
制限はあるにしろ、好きなことで生計を立て、好きなように、したいこともさせてもらい、いつどうなっても後悔しなくて済む人生を歩めて、幸せに感じてました。
私はそれで構わないけれど、子ども達にはまだ母親がいたほうがいいはずです。
年齢のこと訊かれると「もう還暦よ」と答えていたのに、冗談ではすまされないところまで来てしまいました。
この後はどうなっていくのでしょう?
どれだけのおまけをもらえるのでしょう。
願わくばこのまま元気で最後まで生きたいです。
みだしなみにも気を使って、この写真の方のように歳を忘れたいです。
          答え   八十歳です