身軽になりました。身重にも・・・

今日は待ちに待った合格発表の日です。
三男が昨年十二月に試験を受けての、結果です。
三年間の実務経験の後の試験です。
早朝から合格の知らせです。ピース




名刺の肩書きも字数が減って身軽になります。
(公認会計士試験合格者)が要らなくなって、公認会計士になります。
まわりの方々の進言もあり、十月には昇進(昇給)が決まっています。ニコニコニコニコニコニコ
子供が生まれた時に、良い環境のところに住みたいと、思い切ってマンションを買ったので、五月には引っ越します。
そしてそしてもう一つおまけが。
十一月にパパになります。
わたしは本当のおばあちゃんになれるのです。メロメロメロメロメロメロ
もちろん初孫です。
今年度の最終日、有終の美を飾ることができました。ニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコ

ジュテームスープ

映画「食堂カタツムリ」にでてくる桃ちゃんのためのジュテームスープが気になって仕方ありません。




本を読んだわけでも、映画を観たわけでもないのに頭の中でジュテームスープが独り歩きしてしまいました。
これにはハートの容器が不可欠だと思い、探しましたが、ネットでも売っていません。ようやくセリアでみつかりました。
そこで制作にかかりました。
材料です。



   ・玉ねぎ・・・・1ケ       ・サツマイモ・・・・4分の1本
   ・セロリ・・・・・1本       ・かぼちゃ・・・・4分の1ケ
   ・リンゴ・・・・・2分の1ケ   ・長ネギ・・・・・・1本
   ・カブ・・・・・2ケ         ・大根・・・・・・・・・10センチ
   ・ゴボウ・・・・4分の1本   ・ユリ根・・・・・・・適当
以上を1センチ角に切って、バターで炒め、ローリエ1リットルを加えて、柔らかくなるまで煮込む。
塩・コショーで味を調える。
柔らかくなれば、キャベツ3~4枚を刻んだものを入れて煮込む。
その後、クレソンを入れて、クレソンがしなっとしたら火を止める。
粗熱が取れたら、ミキサーにかける。
  
簡単ではあるのですが、材料の種類が多いため下準備と、器具のかたずけに手間取りました。
奈良で買った包丁がよく切れるのでお助かりです。
この材料でどんな味になるのか予測できませんでした。
特別美味しいとは思わないけど、野菜の持つ自然の甘みで、口当たりがよく、優しい味で体が求めているエキスがたっぷりと味わえました。
食堂カタツムリで出されるお料理を食べると幸せになれるといわれているそうです。
うちの家族は一応幸せですが、もっと幸せがほしいなあとその願いを込めて作りました。
でも息子達から大ブーイングです。
ハートなんて気持ち悪い。やめてくれ!
食べにくい。味は気に入ったみたいですけどね。



娘だと反応が違うのでしょうか。

正和さま

先日、久しぶりに、TVドラマ「樅の木は残った」で田村正和を観ました。
この人は、今までいろんな役を演じて来ましたが、時代劇のニヒルで、腕のたつお侍や、ラヴストーリーの二枚目の静かな紳士役が好きです。
古畑任三朗とか、コミカルな役とか、汚れ役、お笑い系はNGです。
舞台も追いかけて大阪へよく行きましたが、数年前に舞台は引退してしまいました。
体力的な事があるのでしょう。(心臓が悪いとか)




舞台は時代劇です。
いつも、寡黙で、剣の達人役です。
舞台の真中にすっと立ち、にこりともしない、いつも何かに耐えているような表情に痺れます。
あの、おさえた、こもった様な声も渋くて魅力的です。
着物と帯の組み合わせ、襟、裾からのぞく裏地、髪を結ぶ紐、等々、色の組み合わせが素敵です。
和服の素晴らしさを再認識する時でもあります。
大体花道のすぐそばとか前の方に席をとります。
少々不満なのは、相手役の女性です。
メジャーでなく、年もとっていて、どうにも感情移入できない、演技は上手いのかもしれないけど、私の脳は拒否しまくりです。
でも「樅の木は・・・」の相手役 井上真央っていうのもどうにも違和感がぬぐえません。若すぎる!









十数年前になりますが、ニューヨーク五番街のティファニーに行きました。
帰国してから週刊誌で、私が行ったその少し前に TVドラマ「ティファニーで朝食を」のロケで正和様が行っていたことを知り、判ってたら時間を合わせるのにと、とっても残念でした。まさか予期してなかったですよ。
ある時、父の車を買うためにトヨタへ行きました。
初めて入ったそのお店に等身大の正和様のポスターがほほ笑んでいて、緑のビスタをその場で契約してしまいました。
同じ理由で、TVも東芝のバズーカを買いました。
ある時「東京の田村です。」と知らない男性から電話です。
あの田村さん?正和しか知らないのに・・・
そんなわけないですよ。
その方は父の知人で三重県出身の元衆議院議長の田村元氏でした。
事ほどさように、私に大きい影響を与え続ける正和さまです。

最新作

着物の喪服用の生地が一反、三十数年前から、何時お仕立てしようかと考えつつもそのままになっていました。
でも着物は着る機会が少ないので、洋服を作ることにしました。
変わり織りちりめん「白雪」と、お酒の様なネーミングです。
最高級の原料生糸を使用し、ぬれない・汚れない・ちぢまないというフィット加工も施されています。
金文字で両陛下天覧とか両陛下献上品とか記されています。
そんなに値打ちのある物なのかと緊張します。
じっくり考えました。
構想三カ月、ようやく完成しました。
イメージする紫のモチーフを探すのに時間がかかりました。
大阪のコーラルにありました。




バックスタイルです。



コートも作りました。
シルエットはフィット&フレアーです。
ジルコンつきの光るボタンにしました。
背中とポケットに紋が入っています。
十八メートルも生地があったし、途中に紋が四か所あり、裁断しにくかったです。
私としては珍しいことですが、やりがいもありました。






これを着て、東京に行ってきます。
何か縁起が良さそうな気がします。
勝負服の仲間入りです。

私のこと好きだった?

先日ラジオ番組で、ゲストの林真理子さんのお話しに聞き入ってしまいました。
林さんは恋愛には興味無いので、恋愛小説を書くときには、気持ちを掻き立てて、気持ちの揺らぎを表現するそうです。
主人公に憑依しないと駄目、慣れで原稿書けるようになるので、長く仕事をすることが大切とか。




    恋とか愛とか、それは永遠のテーマ

「私のこと、好きだった?」
は女性アナウンサーが主人公です。
かつて人気アナウンサーだった美季子は、現在、チーフという立場で若い女子アナたちの管理職として日々働いている。
独身であるがゆえに、42歳という年齢にテレビ局内はもちろんの事、周囲の反応はさまざまだ。
ある日、大学時代の友人・兼一と再会したことで、彼女の心の中に何かしらの波紋が生じる・・・・。

若いころとそれほど変わらないと思っていても、明らかに違う40代。それでも輝きを失わない40代の生き方を描く、
林真理子の恋愛文学の「真髄」!
これらをみると、もうたまりません。
買ってあっという間に読破しました。これから先はどうなるの?その一心で読み終えました。
読了した後はいつものごとく、ああー・ま、軽いから後引かなくていいな。そんな感じです。
でも緊急発売されるという「下流の宴」を買いに行ったらまだ発売されてなかったのでアマゾンで予約しました。ついでに千住博氏の挿絵による「源氏物語」も。
近頃、ドラマを見ないで、読書にいそしむけなげな私です。

合格祝い

弟の長男が大学に入学することになり、近くに住んでる親戚十人が集まり、お祝いの宴を開きました。
思う存分ビールワインお酒飲めるようにみんな電車で志度までやってきました。帰りはタクシーです。
お料理はお肉がメインのコース?でしたが、二名のお年寄りも健啖家です。よく食べてくれました。
せっかく色々写真も撮ったのに、記憶にないのですが、気がつくと全部削除されてました。
自分に腹が立ちます。怒ってるぞガーン泣き
弟は結婚が遅いうえに、なかなか子供に恵まれなかった為、年の割には若い子供です。
私と違って、怒らずに誉めて育てて、気長に子供とむきあって、受験に対する姿勢も半端じゃなかったです。
甥はもちろんですが、弟に労いの賞状をあげたいくらいです。
弟がここまで熱心だとは想定外でした。
一件落着です。浪人しないだけでも親孝行だと言ってやりました。
先日ミス日本になった林史乃さんの後輩になります。
皆からお祝いいただきすぎたからと、プレゼント


息子達には、それぞれにビームスのソックスやキーホルダー、ル-ヴの焼き菓子、IZUMIYAのクッキーなどです。
普段からケーキは食べているので要らないと言われたのですがお祝いなので形だけ準備しました。




大学の寮に入れたので気が楽です。しかも千葉に住んでいる下の弟の近くなので、心強いです。

秋冬もの展示会

2010年・秋冬物の展示会に出かけました。
インポート、ほとんどがイタリー製です。
色彩は無彩色が多いです。
襟ぐりが空きすぎたり、ボディが細すぎたりとか、ベラミのお客様を思い浮かべてもあてはまるデザインがありません。
五百着以上あるので、一通り目を通すだけでもかなり時間がかかります。
スカートも変わってはいるのですが、ローウェストとか、誰にでも合い易いようにウエストゴムが多く、こんな頼りないスカートは売れません。
毛皮のコートとか、ダウンのコートは、暖冬のため売る自信がありません。
中でも気に入ったのがこのコートです。




バックスタイルです。

定価 ¥128,000というのはどうでしょうか?
薦められたのはこのコートです。



数点契約してきましたが、昔のように感動する商品に出会えない、寂しいです。
それだけ目が慣れてしまったのか、はたまた歳月を重ね過ぎたのか?

わたや・金山寺味噌

母の実家の話です。
この徳利にわたや(昔の文字で)とかかれています。 
お酢を造って、この徳利に入れて 各家庭に届けていたそうです。




わたやの金山寺味噌は美味しいので有名だったそうです。
ぎょうせん飴は朝鮮から大豆は満州から購入し、それに麦をまぜて発酵させて麹をつくっていたそうです。
鉄道弘済会にも納めていたのですが、戦争で原料が入手できなくなり、超お堅い祖父は納得した商品が作れなくなったと、終戦前に潔く廃業届を出してしまいました。
あのまま続けていたらよかったのに、惜しいことをしたと母は時々思い出したように悔やんでいます。
母の子供の頃は、東と西にある高い蔵の天井まで年貢米がぎっしり詰まっていたとか。
でも戦後の農地改革で、大地主も持ち分七反にまで減らされてしまいました。






この家は、曾祖父が幼いころ、この家を建てていたお医者さんが、土台にお金を使いすぎたため、資金不足で手放したのを、買って建てた家です。
だからしっかりした造りです。今で築百四十年位です。
三百坪あるので、、私がこちらへ引っ越したばかりの時は家族全員お世話になっていましたが、ゆったりしていて、何の不自由も感じませんでした。
戦時中はライオン館を創った矢野さんや、母の同級生のご家族も疎開していました。
その方達は、船で志度へ荷物を運んだ夜、高松空襲があり、危機一髪で空襲を免れたとを今でも感謝してくれてます。
屋根が少しカーブしてます。意味は判らないのですが、この丸みを帯びたところが良いといわれてます。



庭には大きなナツメの木があります。私が子供の頃は実がいっぱいなり、この木に登ってよく遊んだものです。
あの頃は、スックと頼もしそうに、天に向かってそびえて立っていたはずなのですが。
今では年老いてしまい、もう休みたいのでしょうか、横に伸びてしまって、危ないので、支えで何とか持ちこたえてます。
陸軍士官学校で飛行機に乗っていた伯父は敗戦で帰宅した時、
「もう飛行機には乗れんから、ナツメの木に登ってやる!」とふてくされていたそうです。



ソテツも立派になりました。



私が一番畏敬の念を抱いているのが、この化石です。
木が石になるなんて、一体どれほどの歳月が経ったのでしょうか?
想像もつきません。



平成十六年の台風23号の時、床上浸水になったので、その後、主に住むところだけ改築しました。
その時、普通よりは幅の広い襖に書かれている水墨画が、これからはもう手に入らないだろうと、屏風に創り直して玄関に置きました。
古い家なので、まだまだお宝が眠ってます。

さぬき源内ふるさとまつり

さぬき源内ふるさとまつり
 三月二十日(土)~三月二十二日(月・祭日)
  お問い合わせは さぬき源内ふるさとまつり実行委員会
                電話 087-894-1684   
  ・平賀源内記念館オープン一周年に合わせて、平賀源内先生に関わる催し物があります。
  ・まち歩き、各種展示会など多彩な催しが行われます。




  ・商工会女性部による、カンカン寿司やうどんの販売も行います。
  ・各種団体によるバザーや特産品(牡蠣・書きご飯等も含みます)の販売、駄菓子屋コーナーもあります。
 ・金唐革紙(革に変わる紙)で、細工物を作る教室も開催されます



 、・三月二十二日(月・祭日)は源内寄席があります。
      とき  : 3月22日(月・祭日) 13:30より
      ところ :  源内記念館2階
     出演  : 林家染吉・桂阿か枝・笑福亭小つる

  ・第26回発明工夫展開催中     
       第2第3の源内先生をめざす人達の作品です。
       応募総数288点の中から15点の入賞作品・源内賞3点の力作を展示してます。
これを機会に、さぬき市志度へお越しくださいませ。
 四国八十六番札所 志度寺の門前町も散策してみてください。
 お待ちしております。
 お天気が良いと嬉しいのですが・・・・
 もう暖かくなるそうです

プロ棋士・長岡裕也四段

プロの将棋棋士の長岡裕也氏は八王子出身ですが、彼の母親(私の従姉妹に当たります)がさぬき市から出てるので、三段論法でいけば彼もさぬき市出身ということになり、イベントがある度志度にやって来ます。
先日も津田で将棋大会が行われました。
母親と一緒に帰省しました。




著書に、 「2手目の革新 3二飛戦法」 
長岡氏を含む四名の共著で「新鋭振り飛車実戦集」 があります。
私は将棋のことは全く判らないのですが、羽生善治王将のタイトル戦の記録係を長くしていて、どんな所で どんな食事で どんな待遇か?と言うようなことに興味がありました。
近頃は羽生さんの練習相手をつとめているそうです。
たまたま彼が帰省した翌日、新聞に羽生さんの奥様が軽い交通事故を起こしたことが載っていて、こんな些細な事故でも取り上げられるなんて、有名人は大変だと話していました。



おばあちゃんと一緒です。
おばあちゃんの富永ゆたかさんは、さぬき市で命の貯蓄体操の指導をしています。
将棋をする人は先の先まで読むのでどんな頭、脳みそなのかと、さぞかし厳しいだろうと思うのですが、帰ってきたときの裕也君はとってもリラックスして、本当に好青年です。
お兄ちゃんと妹さんがいて、妹さんにはよく手料理をごちそうするそうです。ベラミで服も買ってあげます。
しど将棋クラブにも時々顔出ししてます。
これからも年に何回か帰ってくると思うのですが、お陰で疎遠になりがちな祖父母との関係も温かいものになっています。