51番札所 熊野山・石手寺


こんな文字があちこちでみられます、何らかの意思をもったお寺みたいです。
四国霊場88箇所の51番目だそうですけど・・・・


河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり、七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。しかし、永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが、本堂や仁王門、三重塔は焼失を免れている。
この部分で親近感を覚えました。
夫の実家の寺も七堂大伽藍だったのに、長宗我部元親に焼かれて(しかも二度も)、小さくなってしまいました。
それにしても長宗我部元親はどれだけの寺院を焼きつくしたら気がすむのでしょう怒ってるぞ
秋山真之が東京へ向けて出発した三津浜にやって来ました、当時は砂浜だったはずです。

よく晴れています、秋山兄弟や子規達が眺めた坂の上の雲、一朶の雲はどんな形をしてたのでしょうか?

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