東洋のマチュピチュ

教科書に載っていた別子銅山、天空の産業遺産と謳われているだけあって、どんどん山の方に走って行きます。
ノーマークだったので予備知識はありません。


江戸時代に発見されたとか、標高1000mの山の中でよく見つかったものですオドロキ明治時代に鉱山鉄道ができて、海岸まで鉱石を運んだとか。
昭和48年に閉山になるまで283年と言う長きに亘り、住友一社で掘り続けられた、世界でも類を見ない大銅山でした。
住友グループはもとより、新居浜の発展ひいては日本の産業近代化に多大な貢献をしてきました。
家族を含めて5000人位の人が住んでいたけど、山に入る人はだいたい15年くらいで亡くなったそうです。
住友グループの持ち物だったけど、寄付してくれたとか、でもそれはそれで何かと大変らしいです。
砂金堀の体験もできる列車もありました。

標高1210mの歓喜坑から掘りはじめて、最終的には水面下1000mまで掘り進めました

金鉱石、以前は1000万円だったものが金の値上がりで2642万円になってます、これは住友のものです。


東洋のマチュピチュ
と呼ばれているそうですが、冬は雪のためそこには行けません。
ボランティアガイドの方に、弟と交互に矢継ぎ早に質問すると、その方もすごく喜んで、熱のこもった解説をして下さいました。
今まで聞かれたことがないことばかだりとかで、最後には、お土産に鉱石を下さいました。
この方は、先日志度へ牡蠣焼きにこられたとか、偶然ですね。
マイントピアの中にもありました

チョットお腹が空いたかな?中華そばを頂きました。

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