母のルーツを訪ねて

母のお爺さん私からだとひいお爺さん に当たる人は教育熱心な人で、大川町の南川小学校を作ったそうです。
そこには大北寅造と書いた大きな石碑が立っている、それを見たいと随分前から言われていたので思い切って出かけました。
母は道は分かる、川を三つ越して、南へ行けばいいと言いますが、当時とは道路状況が違います。
私は初めてなのでナビを頼りに走らせます。
やっと小学校のあった南川自然の家に着きました。




私が子供のころにはあちらこちらでお目にかかることのできた、懐かしい二宮金次郎さんの銅像がありました。



学校もありましたが建て直されています。









そして、いくら探しても大北寅造の石碑はありません。
あるにはあったのですが戦後の新しい碑です、明治時代ものではありませんでした。

がっかりしながら、昔の、祖母(母の母)の家、を目指します。
もともとは平家の落人で、見つからないように、下から見上げても分からないような、山肌にへばりつくように
家が建っていたそうです。
そこを越えるともう徳島県と言うことです。
行き止まりまで来てもそれらしき家は無く、近くで農作業をしていた方に尋ねました。



こんな山の中で生活している方が居られることが驚きでした。
どうやら道を間違えたようで、引き返しもう一つの道を走りました。







あれかな、家はあるけど人の気配はなく、そこにたどり着く道も分かりません。



山の間から海が八栗山が見えます。随分高いところです。



ここから祖母は今の石田高校の辺りにあった大川女学校に毎朝四時に起きて通ったそうです。
何十キロあるかと思うほど、クルマでもかなり走りました。
随分遠くて、当時は山道です、夜は真っ暗だったでしょう。
女の子なのにお爺さんは教育を受けさせたのです。
その学校の第一回卒業生で、教師をしてました。
素晴らしい祖母で、叱られた記憶がありません。大好きでした。
でも、母は、黙っていても祖母が恐かったそうです。
どんなに山奥でも道は舗装されています。
日本一小さな県なのに、広いと感じました。
多分アレだろうとは思っても確信はなく、少々不満気味、不完全燃焼です。フッン
もう来ることはないなと、中途半端な感傷に浸りつつ、そこを後にしました。

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