富士通・山本卓眞氏逝去

今朝新聞を開けてみて、驚愕しました。
富士通の元社長・会長だった山本卓真氏
17日に肺炎でお亡くなりに、お別れの会は3月に帝国ホテルで。







父が満州で戦闘機の操縦を教えて、敗戦のとき、いち早く帰国できるように引率し、奉天から帰国の途に就いた方です。
帰国後、東大に入り、コンピューターの技術開発に尽力されました。
その後の大活躍は衆目の一致するところです、数々の勲章も授与されています。
父の没後、満州での事を含む、父の自叙伝をお送りしたところ、とってもご丁寧なお手紙いただきました。



でも、本の中でお名前が間違っていたため(”眞”が”真”になっていた)お詫びのお手紙を差し上げたところ、また直筆でお返事をくださいました。
   新聞の記事は全部になっていました。
私→山本様
前略
父の遺品に残されていた山本様の「日本の志」読ませていただきました。



”凄い!”の一言に尽きます。いろいろな方面の知識の豊富さ、さすが世界のトップリーダーの面目躍如ですね。
あれから十年経ったのに竹島問題一つとっても、一向に進展なく、先行き不安になります。
こんな方が総理大臣になって日本を導いて行って下されば良かったのに、と思いました。
中略
どなたが何時亡くなったり、負傷してもおかしくない状況の下、ご無事にお帰りになりよかったですね。
パイオニアだからこそのご苦労もおありだったでしょうけど、ご努力が実を結び、大輪の花咲かせてくださいました。
父とは雲泥の差ですが、山本様のことは誇らしそうに語っていました・・・
後略
山本様→私
拝復 丁重なお便り、厚く御礼申し上げます。
山下先輩の本が、ご家族あげての事業だったことを知り、改めて敬意と謝意を表する次第です。
小生の名の事は気になさらないで下さい。
こうしてわざわざお断りのお便りを下さるあたりに、山下先輩のご家庭の立派さが偲ばれます。
母上様はじめ皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

不死鳥会
をはじめ戦没者に関するいろんな会の会長も務められていました。
これは満州の蒙古力で一緒に訓練に励んだ仲間たちが後年集った時の写真で、両親も写っています。



文芸春秋の巻頭を飾った「同級生交歓」の写真です。
左からオリンパスの社長 下山敏郎氏 ・ 富士通会長 山本卓真氏 ・ インテック会長 金岡幸二氏



陸軍航空士官学校五十八期生で終戦は若楠特攻隊として奉天で終戦を迎えた。
ここで部隊長島田安也中佐の運命的な命令、「地を這い、草を噛み、犬、乞食となっても祖国再建に尽くせ。私は兵と共にシベリヤに行く」と。
混乱の中、指揮官の決断の尊さを学んだ。
帰国後、三人は再び東大で遇う。
中略
生き残った我々は不死鳥会をつくり年に一度語り合う。果たして祖国再建に役立ったのだろうかと。

お歳からいえば全うされたとは思いますが、またひとり父のゆかりの方が逝かれ、何とも言えない寂しさを覚えます。
あの世で父と再会される日も近いことでしょう。
心からご冥福をお祈りいたします。

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