三重県尾鷲市須賀利町

私が生まれて育ったところは、三重県尾鷲市須賀利町です。
昔から陸の孤島と呼ばれていました。



昭和57年に、道路が開通して、クルマが通れるようになりましたが、それまでは交通手段は巡航船でした。緊急の時は海のタクシーと呼ばれる、仕立て船を使ってました。





巡航船で尾鷲から須賀利まで約20分です。
熊野灘のリアス式海岸ですが、風待ち港とも呼ばれていました。
途中、こんな岩があります。親戚の方がここで釣りをしていて、急に水かさが増え、逃げ場がなくて若いのに亡くなりました。


狭い湾の入り口を抜けると目の前に街全体が見渡せます。





前は海、後は山、急な階段を上り下りしながらの生活です。


昭和30年ころには1500人いたのに、今は250人、消滅寸前です、漁師まちなのに漁業組合もなくなってしまいました。
狭い町だからこそ、何かあるとすぐみんな集まり、まるであまちゃんのドラマみたいでした。


そういえばNHKの朝ドラ、「旅路」の舞台になったこともありました。
去年の9月にこの巡航船も廃止になりました。
この一連の須賀利の事を、日本の原風景を訪ねるという番組で一時間近く紹介してくれました。
本当に偶然なのですが、義妹が機転を利かせて録画してくれてありました。
これを見たら、たまらなく里ごころがついて、帰りたくなりました。
母ももうこれが最後だろうし、お別れを言いたい方が沢山います、涼しくなったら決行ね、その話をしてたら弟も一緒に行きたいと言い出し(彼も尾鷲で産まれました)三人で行くことになりました。
私達が志度に転居して半世紀以上経ちました。
故郷は遠くにありて思うもの、だそうですが、この歳でこんなにも懐かしく感じる、自分の気持ちに戸惑っていますが、その気持ちに素直に従いましょう。
ホテルは予約しました、楽しみです~メロメロ

“三重県尾鷲市須賀利町” への2件のフィードバック

  1. こんばんは、
    須賀利のご出身なんですか?
    苦労なさいましたね。
    関西時代にこの須賀利をホームグランドにしてました。
    魚影が濃く、潮の流れが複雑で港を出てすぐのところでも
    天然の大鯛がよく釣れました。
    養殖も盛んで特に須賀利の鯛は尾鷲の中でも一番高く
    ブランドでした。
    確か?すず丸の船頭さんが巡航船の最後の船長だったと思います。
    いつも途中の島勝浦の旅館を拠点にしてました。
    ふるさとは遠きにありて思うものですね!
    楽しんで来てください。m(_)m

  2. マサ様
    まさか須賀利をご存じの方がいらっしゃったとは!
    驚きましたが、嬉しいです!
    産業が何もなく、漁業のみですが、お魚はどこの有名な所よりも美味しく思います。
    私の家も高いところにあり、階段を下りて井戸水を汲みに行き、ガスがないので薪を拾ってきて、炭やら練炭を使ってました。
    外から見たら可哀そうな状況でしょうが、最初からそんな環境だったので、当然と受け止めていました、つらいとは思いませんでした。
    巡航船の船長さん、お名前はわかりませんが、写真を私の今日のブログにアップしましたのでご覧になってください。
    島勝浦という名前もよく耳にしました、今度確かめてきます。

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