群馬小6・自殺
この事を知った時、記事とか見ないようにしていました。
あまりにも悲しすぎる、自分のその時代のことがオーバーラップしてくるのです。
だから敢えて無視しようとしていました。
でも次々情報が入って来て、黙っていられなくなりました。
学校でのいじめ
・ 臭い
・ 髪の毛洗ってないだろう
・ あっちへ行け
・ プリント渡す時に「こっち向くな!」と言われる
・ お前のお母さんはゴリラ顔だからお前は上ゴリラだと言われた
お母さんがフィリピン人なので、偏見があったのでしょうか?
だんだん学校を休むようになったが10月21日の校外学習に参加した。
これで良いように回ればいいと思って参加したところ「こんなときだけ来るのか」と悪口言われ、泣いて行きたくないと先生に訴えたのに、手を引っ張って「あなたのほうから話しかけなさい」と無理やり校外学習に連れて行かれた。
これが引き金になり、翌々日、お母さんのために編んだマフラーで首をつったのです。
自画像です。悲しそうな顔、誰もいない鉄棒。
死にたくなる気持ちは痛いほど分かります。
この写真見たら泣けました。
小学校二年生の時、転校して来たその日、前の学校と進度が違うので、算数のテストが出来なかったのです。
給食の時間、先生の横で 皆と向かい合わせに座らされ、皆が食べ終わるまで食べさせてもらえません。
前の学校では一番だったので、劣等性のレッテルを貼られた屈辱は、小さいなりに相当の出来事でした。
受け持ちの先生の仕打ちでした。
仲間はずれなんて日常茶飯事です。昼休みも、遠足の時も、どんな時も・・・
ただ、虐めるのは一部の人だけで、その人達に遠慮して私を無視するのです。
小学校の横を通るたび、この道を追いかけられて走って逃げた時の事が、パブロフの犬状態で思い出されます。
何年たっても
しんまいと虐められ続けました。
でもいじめのことは口外できません。
心の中に闇を抱えながら、表面は何食わぬ顔をして過ごしました。
その分内向していきます。
常に怨念のように「私をいじめたやつらを見返してやる!」と日記に書き続け、虐めた子の名前を書いて当てつけに死んでやろうかと、どうやって死のうかと、何度もシュミレーションしました。
その時の私の支えは勉強です。
無記名投票故、一学期の学級委員は当たり前、生徒会長もし、成績では誰もかなわないから、よけいいじめがエスカレートしました。
転校してきたよそ者が、自分達より上に行くことが許せないのでしょう。
それが爆発したのが中学二年の時です。
登校拒否です。
よくこんなに長い間耐えられたと思います。
わたしも意地っ張りだから自分からは仲間に入って行こうとはしません。
一匹オオカミでした。
学校側がいじめの事実を認めたが事実関係は定かではないとか。
でも、明らかになったところで、亡くなった方は帰らない。
先生は一対多のとき多の方に付くのです、その方が楽だから。
私が受けてきた仕打ちは、無数にあります。
経験から判ります。先生なんて何にも守ってくれない、気づかないふりをしてます。
自分が強くなるしかないのです。
親にもSOS出していたのに守り切れなかったご両親はさぞご無念だと思います。
こんな事件が起こる度、自分が今生きていることに感謝します。
良かったことは、半年もの登校拒否で、心の地獄を味わったおかげで人の痛みが分かるようになったことです。
あのまま順風満帆に行っていたら、鼻もちならない人間になっていたかもしれません。
神様がいいようにして下さったのだと思います。
昨日高松に来られていた渡邉美樹氏が朝からTVにでてました。
氏は理想の教育をしたいと学校まで作った方です。
一言「
愛情が足りない」「
子供の顔が見えてない」と言われました。
そうですよね。愛があれば、その人の喜ぶことをしてあげたくなるものです。
事あるたびに「二度とこんなことが起きないように・・・・」と定番のような言葉が繰り返されますが、のど元過ぎればなんとやらです。