メイクの日

昨日のアナカレは、メイクアップアーティストが来られて、自分が普段使っている化粧品を使っての講習会です。
「素顔で来て下さい」と言われてもそれはきつい、いや、周りの人にご迷惑です。
ファウンデーションの付け方から、いろいろ細部にわたり、化粧品店では教えてくれなかったことも教えてくれます。
極めつけは眉毛のカット、全体の印象が全く違って見えます。
これを 明日からは一人でしなくてはいけないのです。
帰ったら復習してしっかりマスターしましょう。
ただ何か言う度、「若い人はこんなことしません、私達の様な年齢の人は・・・・」
繰り返し繰り返し、耳にタコができる位、そんなに意識しなくてもいいと思いますが。
いつにも増しての少人数ゆえ、ヘアスタイルまで伝授して下さいました。




私の場合は、メイクの邪魔だと言うので前髪を上げたところ、皆がそのほうがいいと言うのでそのままに・・・・
結婚式の時の鬘以来です。
あの時バカ顔になったので、金輪際前髪は上げるまいと決心したのに、せっかくしてくれて、その場のムードを壊すのも申し訳なく、マいいか!どうせ後帰って寝るだけだから。
みんな綺麗になったのでデートでもしたいね、と言いながら、お腹もすいていたので、念願の串よしさんに行くことにしました。
何となく顔の辺りが涼しく、恥ずかしいところを見られたような、身の置き所のない所在なさを感じつつ・・・・
余程緊張してたのでしょう、カメラ持参にもかかわらず、写すの忘れてました。オドロキ
でもしっかり頂きましたよ。ニコニコ
アツアツで美味しかったです。油が良いのでしょうカラッとして油っこくなかったです。メロメロ
ノンアルコールビールも飲みました。ナイショ
ひげ専務さんはやはりやさしそうな、すっきりした方でした。
評判のふぐ雑炊、串揚げでお腹いっぱいになってしまって、食べられませんでした。
お楽しみは次の機会、ということになりました。

RURIKO

数日前、TVで浅丘ルリ子さんのインタビューを観ました。
多分以前だったら気にもとめなかったはずです。




その数日前、初対面のおじさま達とスナックで飲んだ時の事です。
カラオケの画面に石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんがでてました。
そしたらそのまま私の名前が、何の根拠もないのに「浅丘さん」であり、「ルリ子さん」になってしまいました。
勝手に命名されてしまったようです。
で、も一つ気になったのは、新歌舞伎座で、毎年、松井誠さんの公演を観に行っていたのですが、ルリ子さんと仲良しみたいで、かなりの年下男性とおつきあいできるのがうらやましく、すてきだと思っていました。



「石坂浩二さんの事は好きではなかった」とか「小林旭さんとは恋人同士だった」とか、さらっと言ってのけ、インタビュアーの方が驚いていました。
お父様が外交官で、色んな有名人、甘粕大尉やラストエンペラーとも知り合いだったし、東条英機氏にも頭をなでられたそうです。



それから林真理子さんの書かれた本も、発売後すぐにゲットしました。



ルリ子さん関連のあれやこれやがありましたが、ご本人は七〇歳だというのに素敵な方で、見た目とっても女っぽいのに、さっぱりして、持って回った言い方しないし、いいなあと、憧れます。
小股の切れあがったイイ女と言うのでしょうか?
たぶんご自分に自信があり、自然体で生きて来られたからでしょうね。

もういちど抱きしめたい・ソン スンホン

韓国ドラマ「夏の香り」や「秋の童話」に出ていた時のソン・スンホンはナイーブでソフトな雰囲気でした。
其の後兵役を終えて(多分)、「エデンの東」ではとってもたくましくなっていました。







そのソン・スンホンがゴーストもういちど抱きしめたいに出演すると言うので、お待ちかね、早速観に行きました。



昔、デミ・ムーアのゴーストは観ましたが、ストーリーは忘れましたので、全く別物として鑑賞することにしました。
最初の出会いからいとも簡単に結びつくので、ちょっと軽いなあと違和感はありました。
(経験がないので感情移入ができません。)
七海が死んで、ゴーストになってからのほうがスリルがあって面白かったです。
芦田愛菜ちゃんの演技が素晴らしかったです。
「お母さんに会いたいの~」と号泣するシーン、撮影の時一回でOKがでたというシーンだと思います。
樹々きりんさんも存在感ありました。衣装も自前だそうですね。
松嶋菜々子さんの(たぶんグッチ・あのスタイルだからこそ着こなせる)衣装が素敵でした。
たどたどしい日本語のソン・スンホンだからこそ、ソフィティスケートされて、いい味が出ていました。
ただあの髪形はベストなのでしょうか?プロのクリエーターが集まって決定されたことでしょうし、考え抜かれたとは思いますが・・・
ヘアメイク担当は韓国人だったと思いますが、ソン スンホンならもう少しアレンジしてカッコよくしてほしかったです。
途中では聞き覚えのある、ゴースト・ニューヨークの幻の時に使われていた音楽が流れてました。
そしてエンディングでは平井堅さんが見えなくても、触れられなくても、心に宿った愛は、誰にも奪えない、と切々と「アイシテル」を歌いあげます。
インパクトの強い歌だと思いました。
そして、これからも見たい映画が目白押しです。忙しいです。





文化祭・フリーマーケット

朝から、黄砂かどうかわかりませんが、少し曇り気味です。
前日テントを張ってくれていたので、その下でフリーマーケットの値段付けです。
付けてる片っ端から、あれもこれも予約が入り、途中で売り止めして値段付けに集中します。
お花も健康シューズも和風のタオルや靴下も並んで、よく売れています。

隣では焼きそばの販売、1パック300円です。
よそのテントでは、押し寿司、天ぷら、カキフライ、おでん、おうどんなど美味しそうでどれもこれも食べたくなります。
上の音楽ホールでは、踊りや詩吟、太鼓などいろんな催し物があるそうですが、持ち場を離れられない為応援に行けません。
何十年もこの文化祭は続いているのに、日曜日は仕事のため、参加したのは初めてです。
大勢の方が来られるのですね。
シートピアのころのお客様、何人もお見かけしましたが、皆さまお年を召していて、年月の流れを感じました。




フリーマーケットの品もあとわずかになって売れ行きが鈍ります。
女の子のベビー用の服が残っていたので、姪の子供のために買いました。
やすッ!感動のプライス・500円でした。



終了時刻になったので、まだ無理のできない私は、テント解体のピンチヒッターに息子に来てもらいました。
其の後、場所を志度電化さんの喫茶ルームに移して反省会をしました。
一つ一つ行事が終わって行きます。
そして秋も深まってきました。

ギックリ腰

初めは少し違和感があるだけでした。
いつの間にか、腰をがっちりつかまれたような感じがしてきて、痛くて、動き辛くなりました。泣き
どこかに上手な接骨院はないかと、あずさ鍼灸整骨院に行きました。




アポなしで「急患なんですが・・・」と言いながら診てもらいました。
腰が痛くてかばうようにしているうちに肩が鉄板みたいに、がちがちになってます。
これがうわさのギックリ腰だそうです。オドロキ
患部を冷やしながら、いろんなテクニックの治療をしてもらいずっと楽になりました。



でも再び痛くなったので翌日は鍼治療をしてもらいました。
ふくらはぎ・腰・肩・首に使い捨ての針を刺し弱い電流を流しました。



この治療の後はうそみたいに痛みがとれて、鼻歌も出ます。
時間が経つとまた痛くなりました。
人様や、患者さんが痛がっている時は予想もつかなかったけど、ギックリ腰って、大変ですね。
安静にするように言われても、主婦だし、仕事人だからそうもいきません。ムカッ
横たわったところで姿勢を変えるだけでも 、一苦労です。
もう一度鍼治療をしてもらいました。
もうピークは過ぎたかもしれません。
これで治らなかったらお灸だと言われてますが、それだけは絶対だめ!
お灸が気持ちいいと毎回される方もいますが、私には合わない。フッン
体の一部が傷むだけでこんなにネガティブになり、気持ちも凹むなんて、当たり前と思っていた健康の大切さを痛感しております。

ひしお丼もどき

ハマチを頂きました。




まず三枚におろしました。
頭が大きくて、骨が硬くて、やっつけるのが大変でした。
体が太いのでとっても大きく感じますが、3.8kgだそうです。
今朝生け簀からひきあげたばかりです。
ハマチも稚魚のときの餌の種類により、いくら上等の餌をあげても最後まで味が良くならないのもあるそうです。
毎年稚魚の値段が上がるので、養殖業者も減っているそうです。



お刺身は当たり前だけど、新鮮なのでひしお丼に挑戦することにしました。
九月に小豆島のホテルでいただいたひしお丼の味を、かすかな記憶をたどりながらたれを作ります。
と言っても小豆島のもろみもお醤油も手元にはありません。
数種類の、我が家のありったけのお醤油と、みりんとお酒をブレンドしました。
このかめびし醤油は、友人の秦(たいや旅館)さんにいただいたものですが、大切に使っています。



かめびし屋で造られたもので、社長の岡田さんにお聞きしたところ、この徳利は流政之氏のデザインによるものだそうです。
花刺しとしても使って下さいとのことでした。
味は、何とか近づけたと思います。
これに薄切りしたハマチを漬け込み、味をしみ込ませます。
捌いた後の、端切れを寄せ集めて出汁を作り、これも適当に味付けしました。
うす焼き卵(これ苦手です)で錦糸卵を作りました。
上に乗っているはまちを食べた後、あつあつのだし汁をかけて、違った味も楽しめました。



もう一度本物を食べて、味を確かめてみたいです。
カマの塩焼きは脂がのって、絶品でした。

白みその、お豆腐とのお味噌汁も美味しかったです。


明石麦酒

夫の誕生日に息子から届きました。




明石麦酒です。
   ・悠久の刻
   ・明石浪漫ビール
   ・明石海岸ビール

ネーミングもこのレトロな絵のラベルもおしゃれで、センスの良さがうかがえます。
一手間かけてます。その分プライスに反映するかもしれないけど、気持ちは豊かになります。
何かを予感させるような雰囲気です。
やはりパッケージって大切ですね。
国際ビール大賞に4年連続で入賞しただけのことはありますね、何かが違う!



何時も缶ビールをそのまま飲むので、グラスに移すとこんなに色が濃いのかと思いました。
これが黒ビールと呼ばれる所以でしょうか?



すっきりと飲みやすく、上品な味がしました。
アルコール分5%で、いつも飲むビールと度数は同じなのに、何故か酔えませんでした。

素敵な宮宇地美穂さん

昨日のアナカレのゲスト講師はRNCのアナウンサーの宮宇地美穂さんでした。
アナカレ一期生とのことで大、大先輩にあたります。
でも、若くて美しくて見とれてしまいました。







おっしゃること一つ一つ納得です。
私にとっては課題満載です。
先週昼間ようやく、RNCテレビを観ました。
林さん、磯部さん、野口さん、仁多田さん達もはじめてお目にかかりました。
宮宇地さんはテレビより、ずっと若く見えました。
最初から最後までニコニコしてて、思わずこちらまで口角があがります。
やさしい話し方です。
話し方にリズム感があり、テンポもよくて、引き込まれます。
腰の低い方で好感がもてました。
後から小橋先生にお聞きしたのですが、性格もとても良い方だそうです。
そのままお顔に出てます。
お手本にしたい女性です。でももう手遅れみたい!

志度商工会女性部

志度商工会の女性部の、文化祭の打ち合わせのための役員会がありました。
午後七時、その場所に行くと建物の外まで美味しそうな匂いが漂っています。
いつもお世話して下さるNさんと、有志の方たちがご馳走を作ってくれていました。
牡蠣や大ぶりのサトイモなどの入った炊き込みご飯・ゆずの香りの和え物・野菜の実沢山のお味噌汁
二升も炊いたので 残った分はタッパーに入れてお土産にします。




大学芋まであります。



美味しくてすき腹に沁み渡ります。ニコニコ
食後のコーヒーの後本題に入ります。



志度地区文化祭
場 所  :志度構造改造センターにて
 時   :11月14日(日) AM10:00~PM2:00
頃まで
ここで志度商工会女性部が、焼きそば・スーパーボールすくい・フリーマーケット・会員によるバザールに参加します。
フリーマーケットはとっても安いので、早くからよく売れるそうです。
前日のテント設営・当日の撤去、材料の買い出し、フリーマーケットでの販売が私の役割です。
ついでに看板製作も。



このところ日曜日になると雨なので、どうぞ当日は晴れでね、と祈っています。パーンチ

いじめ・じさつ

群馬小6・自殺
この事を知った時、記事とか見ないようにしていました。
あまりにも悲しすぎる、自分のその時代のことがオーバーラップしてくるのです。
だから敢えて無視しようとしていました。
でも次々情報が入って来て、黙っていられなくなりました。
学校でのいじめ
  ・ 臭い
  ・ 髪の毛洗ってないだろう
  ・ あっちへ行け
  ・ プリント渡す時に「こっち向くな!」と言われる  
  ・ お前のお母さんはゴリラ顔だからお前は上ゴリラだと言われた
       お母さんがフィリピン人なので、偏見があったのでしょうか?
だんだん学校を休むようになったが10月21日の校外学習に参加した。
これで良いように回ればいいと思って参加したところ「こんなときだけ来るのか」と悪口言われ、泣いて行きたくないと先生に訴えたのに、手を引っ張って「あなたのほうから話しかけなさい」と無理やり校外学習に連れて行かれた。
これが引き金になり、翌々日、お母さんのために編んだマフラーで首をつったのです。










自画像です。悲しそうな顔、誰もいない鉄棒。






死にたくなる気持ちは痛いほど分かります。
この写真見たら泣けました。



小学校二年生の時、転校して来たその日、前の学校と進度が違うので、算数のテストが出来なかったのです。
給食の時間、先生の横で 皆と向かい合わせに座らされ、皆が食べ終わるまで食べさせてもらえません。
前の学校では一番だったので、劣等性のレッテルを貼られた屈辱は、小さいなりに相当の出来事でした。
受け持ちの先生の仕打ちでした。
仲間はずれなんて日常茶飯事です。昼休みも、遠足の時も、どんな時も・・・
ただ、虐めるのは一部の人だけで、その人達に遠慮して私を無視するのです。
小学校の横を通るたび、この道を追いかけられて走って逃げた時の事が、パブロフの犬状態で思い出されます。
何年たってもしんまいと虐められ続けました。
でもいじめのことは口外できません。
心の中に闇を抱えながら、表面は何食わぬ顔をして過ごしました。
その分内向していきます。
常に怨念のように「私をいじめたやつらを見返してやる!」と日記に書き続け、虐めた子の名前を書いて当てつけに死んでやろうかと、どうやって死のうかと、何度もシュミレーションしました。
その時の私の支えは勉強です。
無記名投票故、一学期の学級委員は当たり前、生徒会長もし、成績では誰もかなわないから、よけいいじめがエスカレートしました。
転校してきたよそ者が、自分達より上に行くことが許せないのでしょう。
それが爆発したのが中学二年の時です。
登校拒否です。
よくこんなに長い間耐えられたと思います。
わたしも意地っ張りだから自分からは仲間に入って行こうとはしません。
一匹オオカミでした。
学校側がいじめの事実を認めたが事実関係は定かではないとか。
でも、明らかになったところで、亡くなった方は帰らない。
先生は一対多のとき多の方に付くのです、その方が楽だから。
私が受けてきた仕打ちは、無数にあります。
経験から判ります。先生なんて何にも守ってくれない、気づかないふりをしてます。
自分が強くなるしかないのです。
親にもSOS出していたのに守り切れなかったご両親はさぞご無念だと思います。
こんな事件が起こる度、自分が今生きていることに感謝します。
良かったことは、半年もの登校拒否で、心の地獄を味わったおかげで人の痛みが分かるようになったことです。
あのまま順風満帆に行っていたら、鼻もちならない人間になっていたかもしれません。
神様がいいようにして下さったのだと思います。
昨日高松に来られていた渡邉美樹氏が朝からTVにでてました。

氏は理想の教育をしたいと学校まで作った方です。
一言「愛情が足りない」「子供の顔が見えてない」と言われました。
そうですよね。愛があれば、その人の喜ぶことをしてあげたくなるものです。
事あるたびに「二度とこんなことが起きないように・・・・」と定番のような言葉が繰り返されますが、のど元過ぎればなんとやらです。