スダチでお寿司を・・・

スダチを沢山いただきました。
小ぶりだけど、フレッシュで、種が小さくてたっぷり成分を含んでいます、とっても美味しそう。ニコニコ

尾鷲で酢さばを買ってきました、どんな味かわからないけど、こちらでも売ってるけど・・・・

急遽、お寿司を作ることにしました。
巻き寿司の具を炊くとき、かんぴょう・しいたけ・人参などを、接客してて焦がしてしまいました、何とか使い物にはなりましたが。
どうしていつもミスばかりするのかしら、我ながら情けないフッン
巻き寿司も上手く巻けない、まだまだ・・・・だわ
スダチの搾り汁と吉野酢をブレンドして、味つけは上手く行きました。

あずさ鍼灸整骨院に治療に来てた遠縁の方、お昼時になったのでお招きしました。
この方は男やもめで、外食とかお惣菜を買って家で食べるか、なので、家庭料理を喜んで下さいました。
宍道湖のお土産のしじみでおみそ汁を作りました。
お寿司によく合いました、美味しかった~ニコニコ

隣が売れた?

随分前からこんな看板が出てました。

隣が売りに出たら買うべきだ、とはよく言われますが、特に必要ないし・・・・・
先週ぐらいから中のかたずけをしてました。
今朝大きな音がするので覗いてみたら。

撤去が始まったのですね~

今度はどんな方が来られるのかしら?
我が家の背中が丸見えになってしまうわ、恥ずかしいな。
買っとけばよかったかな?ちょっぴり後悔してますガーン

お昼ごはん

メイン(と言うほどでもないけど、)はイカです。
冷凍してあったのを自然解凍して、もやし、庭にあったニラとニンニク味で炒めました。
シンプルだけど、素材が良いのでとっても美味しかった~

カボチャと油揚げの煮物

もやしのナムルカニカマとか胡瓜を使用

息子たちは物足りないと思うでしょうが、体にはいいはずよ。

オモテナシ

今回、お会いする予定の方は、高齢者が多く、尾鷲近辺の老人施設、容体によって姉妹でも別々のところに入所されているため、3か所の施設を訪問しました。

施設のスタッフはどこへ行ってもとっても感じが良いです、優しいし、ニコニコして皆が挨拶したり声をかけてくれたりします。
それに驚くほど、どこも広い、居心地よさそうです。
スリッパも消毒してあり、訪問者の熱を測って、熱がないことを確認してから中に案内してくれます。
少々認知が入っている方には母が行くことを告知してません、言ってもすぐ忘れるので。
母の顔を見るなり、「昨日○○子さんの夢見たけど、ホントに会えるとは思わなかった、うれしいよ~」とハグどころか、体中で抱きついて、涙を流して喜んでくれました。
墓地も5か所巡りました。
尾鷲湾が一望できます。

クルマで、熟知した方が案内してくれるので、効率が良いです。
すべてのことをやりきった後、お土産を買いに行きました。
尾鷲と言えばお魚です。
ここは最近できたところだそうです。

どれもこれも美味しそう、何を買えばいいのやら、随分迷いました。
宅配の手続きをして、すべて完了。
お昼ごはんを頂き、駅まで送って貰って、尾鷲を後にしました。
又来てね、コールが多々あり、その気になったら来るかも知れません。
帰りは松阪から難波まで近鉄で行きました。
近鉄の車内の壁にはパールがディスプレイされてました、豪華~


難波でお弁当を買おうとしたけど、売っていません、お腹を空かせたまま、志度に着いてすぐにはなまるうどんに直行しました。

最後はショボかったけど、尾鷲では精一杯の お・も・て・な・し をして下さり、旧交を温めることができ、母にとっては思い残すことのない有意義な旅になりました。

尾鷲での宴会

親戚の方々、主に父の従姉妹達が集まってくれました。
近くに住んでいても一同に会することはあまりないので、こんな機会を設けることができ、皆さん喜んでくれました。
さかなが苦手な弟も、ここではお箸がよく進むようです。



故郷を出て50年余、と言うことは皆さんそれぞれに高齢者でして、体のあちこちに不調を訴える方もいて、お酒ビールも飲めない方が多いです。
もっぱら昔話に花が咲きます。
苦しかった時に庇ってくれたり、親切にして下さった方々に感謝の気持ちを伝えられて、大仕事を終えた気分です。

ここは以前旅館をしていたので、部屋数は沢山あります。
床が引っ込んでいるところがあリました。
これはジャイアント馬場が来たときになったものだそうです。
大相撲の巡業でお相撲さんが泊ったとか、高見山に抱っこしてもらったとか、昭和の話に終始します。
前日よりはゆっくり休めました。

須賀利に帰って来ました

尾鷲も陸の孤島と呼ばれていたそうですが、更にさらに辺鄙なところにあるのが私が育った須賀利です。
当時では考えられなかった、どこまで行っても道路は整備されて、ベンツの乗り心地も快適です。
島勝とか引本とかいくつかのトンネルを抜けて、ついに帰って来ました。
親戚の仏様参り、お墓参りを済ませ、私が住んでいた家、(かなり高いところにありますが)まで行きました。
あるにはあったけど、様変わりしてます、増築したのでしょう、今は他人様の家ですが、誰も住んでいない様子。

横の川で洗濯をしていたそうです。

水道がまだなくて、下の方にある井戸まで水汲みに行ったものです。
その井戸はありましたが、昔はもう少しゆったりしてた記憶が・・・

こんなに狭かったのかしら、道幅も家もなにもかも。
隣の家の2階には本が沢山あって、2階から屋根伝いにお邪魔して本をむさぼるように読み、自然に文字も覚えました。
そこのお兄ちゃんは遠洋漁業から帰る都度私に本を買ってくれましたが、若くして海で亡くなりました。
お墓参りに行った時偶然その方のお墓を見つけお参りしてきました。

この墓地の後ろの山の中にマイ秘密基地があり、そこで枯れ木を拾ってきては溜めておきました。
それで、炭に火をおこし、お湯を沸かして、ちゃぶ台にお茶碗を並べ、お漬物を切って夕食の支度をしてから、弟の手を引いて浜まで仕事から帰ってくる母を迎えに行ったものです。

何でも一人でする、周りから見れば私は可哀そうな子で、母は継母かと思われていたそうですが、私的にはこれが普通だと思ってました。
5歳で自立してました。
親切にして下さった方に会いにてっぺんの方まで上りました。話は尽きません。


須賀利湾
が見渡せます

足が痛いはずの母も必死で上り下りし、須賀利の端から端まで歩きました。
さすがにお寺までは無理です、由緒あるお寺だそうですが、下から拝みました。

元は銭湯だったところです

長寿を祈って、米寿の方の手形を張った家が至る所にあります、須賀利名物かしら?

祖父の家の近くにある高宮神社

近頃の須賀利はスポットライトを浴びだして、観光客とか釣り客が増えたそうで、公衆トイレもできてました。


1年前に巡航船が無くなってから、バスが出るようになりました。

私が須賀利を出る時、同級生全員が巡航船乗り場で見送ってくれました。映画の1シーンのようでした。
そのときの先生ももうお亡くなりになったとか。
町中を歩いてもあまり人影が見えませんが、何人かには偶然お会いして話が弾みます。

お名前は知りませんが、以前TV番組に出ていた人も見かけました。
若い人は出て行って帰って来ない、お年寄りは亡くなる方が多く、人口が減るばかりで、空き家も多く、将来が見えません。
過疎地で町が消滅するのもそう遠くはないと思います。
最後(かどうかは分からないけど)に来られて良かった。
子供の時の印象とは違っていたけど、弟も5歳の時にここを出たのであまり覚えてないけど、理屈抜きで故郷はいいものです。

コーヒーが飲みたかった

早めに旅館を出て、松阪駅に着きました。

さすが松阪牛の本場とあって、駅の前には牛が並んでます。

コーヒーを飲もうとしても喫茶店まで遠いので、駅の中のパンやさんに入りました。

ここには珍しいパンが沢山ありました。
朝ごはん食べたばかりだけど、あまりにも美味しそうなので、買ってしまいました。

母と半分こ、弟は要らないとか。
ここで食べておいてよかったのです、この後夕食まで、お昼ごはんを食べるチャンスを失してしまいましたから。
松阪から約1時間半、特急で5つ目が(多分)尾鷲です。車両はきれいでゆったりして、トイレも新幹線のよりも広々してます。

尾鷲の駅では父の従兄弟たちが出迎えてくれました。