写真の整理をしていたら、お店の開店時の、懐かしい一葉が出てきました。
このころはオーダーの専門店で縫い子さんも10人位はいました。
何年前でしょうか?
隣家の類焼で全焼したのが35年前の3月9日ですから、それから何年も遡るはずです。
開店するときに、床にブルーのカーペットを敷き詰めました。
それが珍しかったのか、靴のまま入ってもいいかというようなことを何度も聞かれたものです。
当時はまだ商店街も活気があり、商店街で火災があったことも初めてだし、商工会の後押しもあって、珍しく火災保険金が100%支給されました。
ものすごく情けなかったけど、このままつぶれてたまるかと、翌日から洋裁道具一式(鋏・物差しなどすべて)を買って、早速仕事を始めたものです。
ミシンは火事見舞いでいただきました。
その時言われたこと「今はつらいだろうけど、後になったとき、あの時火事になってよかったと思える時が来ますよ」その一言が凄く身にしみました。
親切な方がガレージを貸して下さり、そこを仮店舗にしながら、新たに店舗を建てました。
そこで営業していた時に、ショッピングセンターの話が持ち上がりました。
今でこそ志度で一番賑やかな場所ですが、当時は山の中、そんなところにお客様が買いに来てくれるなんて全く考えられないことでした。
火事になったからこそ、その話に最初から参加し、出店ました。
「どうせ三か月で潰れるわ」との心ない言葉も浴びせられ、そうなるとよけい燃えます。
初めからうまくいったわけではないけど、努力し、年間360日働いて、軌道に乗せました。
いい時代、満足のいく一時代を築けました。
元はといえば火事です。
家に火をつけた人を恨んだけど、そのおかげで潤いました。
人間万事塞翁が馬・・・身をもって体験しました。