今年を振り返って 3月 3年16組

高校の時の同窓生はかなり仲良しです。
大きな括りでは 玉翆会
ふつうは43会
クラスは3年16組でした。
有難いことに私の休みに合わせて、時々集まります。
場所は同級生の息子さんがオーナーの喰うくうです。
いつの間にか連絡網みたいなのが出来てしまい 電話だけで10人以上はすぐ集まります。
クラス会とは名だけで他のクラスの人が半分で、パーソナリティのANNRIさんも皆勤賞ものです。
職業も、地位も様々ですが、この歳になっても ○○君と呼びあえ、異性を意識することなくいろんなことを相談したり、本音で話し合える友人は貴重です。
2年11組の時クラス全員がとっても仲がよくて、その頃ついたあだ名がおばあちゃんです。
ちなみに男の子はおじさん、女の子はおばさんと呼ばれていました。

今年を振り返って 2月の結婚式」

息子が結婚しました。初めて娘ができました。




ウェルカムボードの絵は長男が描きました。
回りのプリザーブドフラワーは知人のMさん(仮屋崎さんにお花を習ってる方です)にお願いしました。
抜けるような青空でした。

上司の方も30代で若く、同級生や職場の同期の方など 皆気持ちのいい若者ばかりでした。
披露宴では親の知らなかったことが次々に暴露されました。
2年間大学の同じゼミで学びながら話したことはなかったのに、知人の紹介で知り合って10時間で結婚を決めたとか、思い通りにいかない人生だったけど、結婚により自分の人生を肯定できる様になったとか、リッツカールトンでの凝った演出のプロポーズとかetc
前日からホテルに泊まり、留袖に初めて手を通し、まるで夢のような1日でした。
式の準備には一切かかわらず、結婚式はお嫁さんのものだから、花婿なんてお添えみたいなものだから・・・
とかいろいろ聞かされていましたが、現実を目の当たりにして、静かな感動を覚えました。
派手ではないけど、凄く心に残る 温かい挙式でした。

マイ 鍼灸師

趣味と実益を兼ねて、洋服作りのこの道に入って四十年余。
肩凝りとそれに伴う不快な症状との2人3脚です。
頭痛もひどく病院で検査しても異常なしです。
大阪や高松で、中国式・台湾式・英国式etc・・の治療・エステティックサロンでのリラクゼーションなど少しでも楽になりたいと、思いつく限り試してみました。
確かに施術中は癒されます。気持ちよくて 眠ってしまいそうになります。
でも終わると全く変わっていません。どこかに良いとこないかなあと長年悩んでいました。
まさか息子がこの道に進むとは予想もしませんでした。
修行中も、練習で診てもらう度 上達してました。
十年近くの勉強を経て、開業して四年目です。
東洋医学とカイロプラクティック、それ以外にも得意分野を増やそうと今も勉強しています。
時々、施術の合間に治療してもらうようになって、肩凝りなんてすっかり忘れてました。
で、このところ間が空いてしまったので、自覚症状がひどく、肩や首に鍼を刺し、電流を流してもらいました。
憑き物が落ちた感じです。
帰宅後、「急患ですよ!」と言って治療してもらったり、旅行とかでも疲れるとその場で応急処置をしてくれたり、道具もいらないし、とっても便利です。
子育てしてきて良かった と思える瞬間です。

今年を振り返って 1月

父の一周忌
 
闘病中の父の枕元にはいつも数冊の本が置かれていました。
その中で、いつか読もうと思っていたのは司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」です。
待望のドラマがオンエアされました。
まことに小さな国が開化期を迎えようとしていたこのフレーズで始まりました。
明治維新の高揚感や躍動感が生き生きと伝わってきます。
父は陸軍士官学校五七期生で、戦闘機の操縦の教官でした。
このドラマにも陸軍士官学校がよく出てきます。設立された初期の頃の時代背景も少しずつ見えてきました。
今後の展開が楽しみです。
一番印象に残ったのは、あまりにもいたずらがすぎる主人公に母親が短刀を畳の上に置いて
 「私は死にます。おまえもこれで胸を刺しなさい。」と言ったシーンです。
昔同じようなことがありました。
息子は幼稚園のいたずら盛り、叱っても宥めてもコントロール不能で、思い余って、畳に包丁を突き刺し、
 「お母さんと一緒に死のう」と迫ったことです。
私は明治のお母さんと同じことをしていたのかとハッとしました。
私も若かったから冷静になれなかったのだと思います。
是非はともかく、体当たりで子育てしてきました。
そしてその子は、今では患者さんたちから
 「良い息子さんですねえ。どうやって育てたの?」と本当によく言われます。
こうなるのがわかっていたら、あのときあんなに悩まずにすんだのに・・・

ベトナム料理デビュー

今年最後の大阪出張に行って来ました。
洋服の仕入れのためです。
いつもより廻る場所は少なかったけど、食事抜きで動き通しなので頭はくらくら、もう服なんて見たくもない心境に陥ります。
息子と食事でもしようと携帯すると、梅田だと思っていたのに、三ノ宮にいました。
十日後の試験の為の勉強中です。(会社はそのために二週間の休みをくれるそうです)
エールを送るために、はるばる三ノ宮まで出向きました。
迷わず行けたので早く着きすぎました。約束の時間まで三時間あります。
これだけあれば家まで帰れるのに・・・と思いつつ、M-INTで9Fから1Fまでを行ったり来たり、O-PAにも行きました。疲れたのでマッサージでもと探したのですが それらしいところは見つかりません。
ソファに座ってDSのゲームしたり携帯いじったり、やっと現れた息子はとっても大きなキャリーバッグを引いてます。中身はテキストだそうです。
今日は嫁のりさちゃんは忘年会なので、息子と2人です。
どこも満席なので、ベトナム料理の店に入りました。初めてです。
バーバーバーというビール飲みやすかったです。
日本人好みの味付けなのか、甘めですが、異国の料理という感じはしませんでした。
三ノ宮駅前のイルミネーション、圧倒されました。
明日は定休日なので 少し気が楽です。

お弁当屋さん

自宅の近くに大手のお弁当屋さんがオープンしました。
私流の子育ての柱は手作りのものを食べさせるです。
毎朝出勤して 店の掃除より先にお米を研ぎにかかります。いつお客様が来られるかわからないので(大抵杞憂に終わりますが)、おかずの下準備とかで、午前中はほとんど仕事になりません。
作りたてが一番おいしいと信じているので、お昼近くになると、息子達の鍼灸院を覘いたり、ソワソワ・・・タイムリーに食べさせようとしているのに、外されたりすると
親の心子知らずと毒づいてしまいます。
昼食を終えると一仕事やり遂げた達成感があります。これで半日終了です。
大量の調理器具や食器類のかたずけは 年老いた母がしてくれます。
私作るだけの人なんです。
その母が今日は不在なので、お弁当を買うことにしました。
先日から気にかかっていたサーロインステーキ弁当です。
食事の支度からの解放感はすばらしいです。
早く母親業卒業したいです。
そのお弁当ですが、味はステーキのソースが美味しくお肉も柔らかかったですが、見た目はコマーシャルのほうがずっとおいしそうに見えました。
買ってきたばかりなのに、ぬるめだったのが残念でした。
たまには 既製品も楽ですね。

不毛地帯

昨夜TVドラマの不毛地帯を見ました。
昔も 映画か何かで見たような気がするのですが、今回は力が入ってます。
シベリア抑留というフレーズに我ながら過剰に反応してしまいます。
昨年父は他界したのですが、手記などが残されていてそのタイトルが「シベリア抑留記」でした。が、シベリアのことには一切触れられておらず、
二年十ヵ月に亙る忍従と辛苦、懊悩と郷愁に満ちた捕虜生活としか記されていません。
ドラマの始まりの頃の抑留者としての生活と、エンディングで降りしきる雪の中に佇む主人公がどうしても父とオーバーラップしてしまいます。
最後に流れてくる トム・ラバーツ・ブルース 意味はわからないけど心を揺さぶられます。
ついでに・・・私はブティックをしているのですが、このドラマの衣装提供の中に
取引先の アンヴィ モードがありました。