カイジ

息子のお薦めのDVD観ました。




聞いたこともないタイトルカイジです。
藤原竜也と松山ケンイチが出てたせいか、デスノートを思い出しました。



無彩色の世界です。
映画全体の雰囲気も色彩も似てるように思えました。
ハラハラしました。
映画の後でコミックを読むように言われました。



こんなぶ厚いマンがどうなることかと思いましたが、、早く結果が知りたくて大急ぎでめくり、読み終えました。
中は、絵に科白も少なめで擬態語も多く、飛ばし読みが可能です。
でも、あまりなじみのないジャンルのせいか、読み終えたものの、何も残らない、感動がありません。
今夜、テレビのロードショーで放映されるので、もう一度観てみるつもりです。

カフェ・セゾン  志度

定休日なので気持ち楽です。
以前だったら休む暇なく家中はいずりまわってお掃除したものです。
でも近頃は適当に手抜きします。
朝から母とお墓参りです。家以外に祖父母や伯父、親戚、知人まで入れると八束のお花が要ります。
ついでに水子地蔵にもお参りしました。(楽しみにしていた息子の赤ちゃん流産したので。)
そしてモーニングのために、カフェ・セゾンへ。
久しぶりです。




相変わらず店内は活気があり、柏原宏写真展も開催中です。



ここは常にいろんなジャンルの催し物をしています。
よくメディアにも登場してます。
オーナーは私の小中学校の同級生、奥様は息子の小学校のときの担任の先生。
ご両親も父も、詩吟の岳風流の仲間でした。
彼はベラミが取引している総合問屋さんにお勤めしていたのですが、いつの間にか喫茶店のマスターに収まっていました。
こんな特技があるとは全く知りませんでした。
アクティブで山に登って写真撮ったり、時間があればどこかへ出かけ年に何回かは長期の旅行にも行き、幸せな人生だと羨ましく思います。
開店以来食べるのはフランスパンのフレンチトーストのBセットです。






場所は志度中学校の向かい側で、春は桜が豪華です。
スペースもゆったりしています。
カフェ・セゾン
    さぬき市志度2266-5
    TEL 087-894-0577

津軽三味線ライブ
10月28日(木)19:00開場
奏者  栗原 武啓

本日も終了

朝からなんとなくバタバタと一日が終わってしまいました。
今日のあずさ鍼灸整骨院は予約が多いのでヘルプに入るために早朝出勤。
でも10時に、ベラミのオーダーのお客さまのお宅へお訪いすることになっているのでそれまでは昼食の支度。
何も考えられないので超簡単、カレーライスにしました。
初めての試みで缶詰のパイナップルを細かく刻んで入れてみました。
フルーティーでした。皆気づいてないみたいです。
はじめてのお客さまでオーダーお受けするのは応対が難しいです。
オーダーですので高くなることは申し上げました。「良いですよ」とは言われましたが・・・
そこで「いくらぐらいになりますか?」と聞いて下されば答えられるのですが・・・・
皆さま価値観が違うので、お値段いくらぐらいが安いのか高いのか訊ねるわけにもいきません。
かと言ってお値段の事をあまり言い過ぎても失礼に当たりますし。
サイズを測り注文を聞き、お直しのパンツをお預かりして帰宅。
午後から布地のサンプルと上着をもって再度お宅へ。




パンツ二枚オーダー、上着も二枚お買い上げです。
このところ売り上げ悪いなあと思っていたら、オーダーが増えて、生産が間に合いません。
しかも、それぞれ、複数の注文なので有難い、芸は身を助くとはよく言ったものです。
その合間で商工会のフリーマーケットに出していただく商品集めに出かけました。
これはほとんど不発に終わりました。
前もってプリントお渡ししてあったにもかかわらず、忘れていたとか何もないとか。
お客様のお相手して、五時から美容院へ。
結局あずさ鍼灸整骨院のお手伝いはできません。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、電話をしたり。
なんともしまりの無い、間延びした一日でした。泣き
明日は休みなのでその間に気持ちを立て直すことにします。ガッツ

別に食べたくないのに・・・・

バイクで遅くに帰宅した息子。コンビニ大好き人間、何か下げてます。
食べ物ばかり。










ちらっ視。
「欲しいんか?」   
 「要らない、もうビール飲んだし歯磨きもしたし」
「これは低カロリーや。大丈夫。またビール飲めばいい」
「そうお そしたら一つだけ」1個食べたらまた次の1個、口まで持ってきます。
「私は駄菓子は食べないの」 
「うるさい!」声が上ずっています汗
 結局 アイス2本と1個・ビール350mlにおつまみもろもろ・・・
でも、初めて食べたうまか棒、いろんな味があって、値段の割にはいけてました。スマイル
本日の営業終了してるのに、NO!と言えない、気が弱いなあ。
老いたので子に従えば丸く収まるとの、大人の対応です。
子供相手じゃね・・・・

10月10日

小学二年生の時のこの日、早朝に国鉄志度駅に着きました。
前日、三重県の尾鷲を発ち、列車を乗り継いで、かなり長い時間かけて、真黒い、煙を吐く蒸気機関車でそれ以後、多分死ぬまで暮らすことになるこの町に降り立ったのです。
まだ若かった祖母が、「よう来たのう、疲れたのう」と言いつつ温かいご飯に、蒲鉾、お味噌汁、海苔、卵焼きで、迎えてくれました。
転校の挨拶に母と小学校へ行った時、当時の江崎校長先生は「お母さんが学んだ同じ学校で一生懸命勉強しましょうね」とおっしゃいました。
その日は、志度の多和神社のお祭りの日でした。
従姉妹たちは晴れ着を着て嬉しそうですが、私の荷物はまだ届いてないため着ることができません。
悔しくて拗ねていたら、本好きの私に「少女ブック」を買ってくれて、それでご機嫌直しました。
太鼓台(ちょうさ)を初めて見て、珍しかったので画用紙に描きました。
それが大川郡の展覧会で金賞になり、賞品にクレヨンを頂きました。







私の第二の人生のスタート時点なので、もう○十年たったのだなあとお祭りが来るたび年を数え直し、感慨深いものがあります。

去年はお神輿のお手伝いで忙しかったので余裕がありませんでしたが、今年はどんな具合かなあと様子を見に行きました。
一学年下の方たちの担当です。



幼いころ同じ小・中学校で学んだとはいえ、もう何十年ぶりかなので全くわかりません。
そうしたら中の一人が
「見たことのある人が通ったから、誰か確かめてきてくれ」と言われたからと、私を追いかけてきてくれ、皆に紹介してくれました。
「山下(旧姓)の○○ちゃんよ!」
名前は覚えてもらっていたので分かって下さり、しばらく歓談しました。
この歳で○○ちゃんと呼んでくれて嬉しかったです。
其の後、同級生にも上級生にも会い、あちこちで写真撮ったり話に花が咲きました。
「○○ちゃん!孫が乗っとんで(ちょうさに)」気分が高揚してるのか、遠いところからも声がかかり、手を振りました。
人見知りが激しい私ですが、数十年来の知己に会い、垣根がスーッと無くなったような気がしました。

ピザ釜

朝から大雨、宵祭りなのに、太鼓台引っ張る人は雨合羽を着て大変そうです。
思いがけず楽木の松岡さんから、秦さんを通してのお誘い。
ピザ釜ができたので来ませんかとのことです。
冬以来数カ月ぶりで山麓の工房を訪れました。




小雨に煙る工房からの景色です。



手作りのピザ釜です。
ただ重ねただけなので半日でできたそうです。



生地からこねて、発酵させて、いろんな野菜やチーズ、ソースを載せていきます。



中の温度は250度くらいなので、2分くらいで焼けるそうです。
見ていると、またたく間に焼きあがります。



焼きたてのピザは生地もしっとりとして、とっても美味しかったです。
年代も様々な、十数名の男女が来られてます。
松岡さんの奥様曰く、だれが来てるか、旦那様の関係の人は知らないとのこと、おおらかでいいですね。
ご子息は息子と同級生で、幼稚園の頃はよく遊んでいたので、その時以来お会いしました。
声楽家で、すっかり立派な若者ぶりです。
皆さんアウトドア派とお見受けしました。
今までの私では、あまり馴染みの無かった珍しい体験をさせていただきました。

飛竜頭

Mさんから手作りの木綿豆腐を頂きました。
急に作ることになったので、材料が全部揃いません。
ヤマトイモの代わりに卵を、オクラの代わりにグリンピースを使いました。
冷凍エビも背ワタ腹ワタを丁寧に取り除き、塩・酒を振りかけて洗います。
市販の木綿豆腐だと、いくら前日から水切りしておいても油で揚げる時、ばらばらに崩れてしまいます。
このMさんのは飛竜頭に最適です。
崩れることもなく、きれいな形に仕上がります。
このままでも美味しいのですが、醤油アンかけにします。




あまりお豆腐が好きではない私でも(体にいいのは分かっているのですが)こうすると沢山食べられます。

今日も・・・こんなに元気です

あずさ鍼灸整骨院の患者さん、Yさんのことです。
最初に来られた時は 消え入りそうな声で色んな悩みを訴えました。泣き
夜眠れない・夏でも寒いと真冬のような服装(基礎体温が低いのでしょう)・情緒不安定等々
外から見る分には分かりにくいですがご本人にとっては大変深刻なことです。泣き
県外の大学病院に定期的に通われて、薬を飲んでいました。
あずさの評判を聞いて来たとかで、来院されるようになりました。
経絡治療・背骨の調整などで身体から悩みを取り除いていきました。
筋肉や骨格にアプローチします。







薬のように副作用(肝機能とか胃とか)もないので長期の治療も問題ありません。
週一回の治療で,気長に通い続け、ようやく治る兆しが見え始めたのが通院しだして半年位してからです。ピース
車に乗れないので毎回ご主人が一緒に来られて、治療が終わるまで小一時間待ってます。
そのうちご主人も一緒に治療を受けるようになりました。
最初からだともう三年半通院されてます。
時々は大学病院でチェックしてますが 薬の量もうんと減ったそうです。
着てこられる洋服も、今ではピンクとかの明るい色になり、お話されるときも朗らかになりました。
性格も変わってきたように思います。メロメロ



現代では大なり小なり、このような悩みを抱えている方は多いと思います。
あずさ鍼灸整骨院では自律神経治療もしています。

シュワちゃんとオバマさんもどき

先月来日したシュワルツネッガーのフィギュアです。




細部にわたり、かなりリアルです。






こんな箱に入ってます。






最初入手した時、不具合があるからと交換してもらいました。
入れ込んでいるので、こだわりがあります。
「こんなのいくらぐらいするの?」  「普通に買えば20000円、ネットで予約しておいたので16000円」
誰かにそっくりでしょう。
でもオバマさんではないので、安いそうです。4000円とか。








鬼籍に入る

偕行(かいこう)・・・・連れだって行くこと。または一緒に行うこと。




旧陸軍将校と元幹部自衛官の会、の財団法人偕行社が、毎月一度発行している「偕行」が届きました。



父が亡くなった時日本全国からお悔やみを頂きました。
この「偕行」に二カ月遅れで亡くなった方の名前が記載されます。
父への同期生からの弔辞も載り、これを読まれた方から、後々からもお手紙とかお香典が送られてきました。
父は生きていれば八十八歳ですから、同期の方々もかなりのご高齢です。
お電話しても耳が遠いのか、こちらの話す言葉が通じず、切られてしまったり、お手紙出してもそれっきりで、事あるたびにあの方はどうしていらっしゃるのだろうと気になっていました。
その方達が、今月号の、鬼籍に入られた方々のお名前の中にありました。泣き
東京のF氏は弁護士で、三十数年前店が全焼したとき相談に乗って下さいました。
父の自叙伝をお送りしたらとっても喜んで下さり、家族や親せきにも読んでもらいますとのお手紙いただきました。



昭和二十年八月十九日、「はるばる満州まで連れてきた虎の子の優秀な学生を、おめおめ死なすわけにはいかない」と父が陸士五十八期生を引率して帰国の途に着きました。
奉天から安東へ向かう時、自分は帰国できたのに、残された一般の人々を置いて帰るわけにはいかないからと途中で引き返しました。
その時、(その列車は奉天発最後の列車になってしまいました)列車の中で、遺書形見のロンジンの腕時計を託したのが、熊本出身の栗原中尉でした。
其の後、シベリアに抑留された父は三年後、自分の二十六歳の誕生日に舞鶴に帰国しました。
形見の品は、三重県の実家に届いていました。
一度お会いして、その時の話をお聞きしたいと切望していた、その栗原中尉のお名前もありました。
あとH氏、詳しくは知りませんが、父の葬儀で名簿の整理をした時にお名前は存じてました。
だんだんと寂しくなります。
その分、あの世もずいぶん賑やかになったことでしょう。