偕行(かいこう)・・・・連れだって行くこと。または一緒に行うこと。
旧陸軍将校と元幹部自衛官の会、の財団法人偕行社が、毎月一度発行している
「偕行」が届きました。
父が亡くなった時日本全国からお悔やみを頂きました。
この「偕行」に二カ月遅れで亡くなった方の名前が記載されます。
父への同期生からの弔辞も載り、これを読まれた方から、後々からもお手紙とかお香典が送られてきました。
父は生きていれば八十八歳ですから、同期の方々もかなりのご高齢です。
お電話しても耳が遠いのか、こちらの話す言葉が通じず、切られてしまったり、お手紙出してもそれっきりで、事あるたびにあの方はどうしていらっしゃるのだろうと気になっていました。
その方達が、今月号の、鬼籍に入られた方々のお名前の中にありました。
東京のF氏は弁護士で、三十数年前店が全焼したとき相談に乗って下さいました。
父の
自叙伝をお送りしたらとっても喜んで下さり、家族や親せきにも読んでもらいますとのお手紙いただきました。
昭和二十年八月十九日、「はるばる満州まで連れてきた虎の子の優秀な学生を、おめおめ死なすわけにはいかない」と父が陸士五十八期生を引率して帰国の途に着きました。
奉天から安東へ向かう時、自分は帰国できたのに、残された一般の人々を置いて帰るわけにはいかないからと途中で引き返しました。
その時、(その列車は奉天発最後の列車になってしまいました)列車の中で、
遺書と
形見のロンジンの腕時計を託したのが、熊本出身の
栗原中尉でした。
其の後、シベリアに抑留された父は三年後、自分の二十六歳の誕生日に舞鶴に帰国しました。
形見の品は、三重県の実家に届いていました。
一度お会いして、その時の話をお聞きしたいと切望していた、その
栗原中尉のお名前もありました。
あとH氏、詳しくは知りませんが、父の葬儀で名簿の整理をした時にお名前は存じてました。
だんだんと寂しくなります。
その分、あの世もずいぶん賑やかになったことでしょう。